無邊落木蕭蕭下,不盡長江滾滾来
(木々は、蕭々とあたり一面に 葉を落とし、長江は滔々と尽きる事なく流れゆく。)
杜甫の七言律詩「登高」の最初の四句より———
風急天高猿嘯哀,渚清沙白鳥飛回。無邊落木蕭蕭下,不盡長江滾滾來。
風急に、天高くして、猿嘯哀し、渚清く、沙白くして、鳥飛回す。
無辺の 落木蕭々と 下り、不尽の 長江滾々と 来る。
晩秋の空は高く晴れ渡り、風は強く、山中に猿猴は哀しく 切々と鳴き、
渚は清く、沙州は白く、鴎は大空を 飛回して群れ遊ぶ。
木々は、蕭々とあたり一面に 葉を落とし、
長江は滔々と尽きる事なく流れゆく。
唐の「安史の乱」の後、杜甫はこの詩を四川の梓州で詠んだ。秋の風が激しく吹き、空は果てしなく高い。猿の哀し気な鳴き声が聞こえる。
渚の砂は白く、鳥が群れ飛んでいる。果てしなく続く木々が落葉し、景色は寂しく暗いが、果てしない長江の流れをはるかに望めば水は滾々とやってくる……。
杜甫はこの時、晩年を迎えていた。社会の混乱により人々は貧困に陥っていたが、彼は高いところに登り、長江の流れが悠久の歴史を通して滾々と流れ続けているのを見ている。
「無辺の 落木蕭々と 下り、不尽の 長江滾々と 来る」、杜甫の詩の魅力は、絶妙な対句表現と、朗々と詠みあげた時のリズム感。そして含蓄のある言葉の対比が強烈で忘れ難い。人類の歴史の中で独特の段階に直面したとき、「蕭々と下る」の悲観的な現実を見たとしても、「滾々と来る」の楽観主義敵気概を示すべきだろう。
ああ、今私は偉大な人の詩句を思い出した。
「倶(みな)往(ゆ)きにけり、風流人物を數(かぞ)ふるには、還(な)ほ今朝を看よ!」
(偉大な歴史上の人物の世は)みな、過ぎ去ってしまった。(現在)英雄的な人物を数え上げる(には)なおも今朝(今の人々)を看よ。
毛沢東の詩「沁園春」より
(編集者:秦川)