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金曜日, 7月 19, 2024
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怖ろしくも愛すべき——『跳無常』とその人情味

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  子どもの頃紹興の田舎で「目連戯(中国農村社会から広まった鎮魂祭祀のための演劇)(目連は古代インドの修行僧の名)」がかかると、幽霊や化け物の世界に浸ることになると分かっているのに、大人たちにせがんで一緒に見に行ったものだ戯(幽霊の出る恐い芝居)を見ると言えば、子どもたちは爆竹を鳴らすときと同じような気持ち、怖いけれどわくわくして楽しい気持ちになるのが常だった。その中でも『跳無常』という芝居は、楽しさの中にも深い味わいのあるなかなか良い芝居だ。

  芝居が始まる前には決まって舞台の前のほうにいろいろな仮面や紙の帽子が掛けられた。最も人目を引いたのは「活無常」のかぶる白い紙で作った長い筒状の帽子だったの帽子にはたいてい「一見是喜(一目見れば愉快になる)」という文字が書かれ、時には「一見生財(一目見れば金持ちになる)」と書かれたりする。「愉快になる」にしても「金持ちになる」にしても、この活無常は観客に人気の役柄だった。

  魯迅先生は『朝花夕拾』の中で、「無常」をテーマにのびのびとした筆致でこの化け物を「無常は快活で滑稽味があるだけでなく、ただあの全身真っ白であるだけで、赤や緑の色とりどりの中で「鶏の中に立つ鶴」のたたずまいを呈し、白い紙の筒状の帽子と手に持った破れた芭蕉扇の影を見ただけで、皆、なんだかドキドキして、楽しくなってしまうのだ」と評している迅はまた、「人々は数ある化け物の中で、唯一無常が最もなじみ深く親しみを感じている。それはすべての化け物の中で無常には人情味があるからだ」とも言っている情は正に無常の魂であり、それこそ無常が愛される所以なのだ常が登場すると、先ずくしゃみをし、続けておならをするが、これらは人間の日常に合致している。彼が優雅なお出ましの演出を狙ってわざとらしく振舞っていないからだの後、無常は自らの素性を打ち明け、身の上話を始める。話す言葉は、これも人間の言葉だは役人ではあるが、その権威を傘に着て人を見下すようなことはない務を果たすため父方の甥を冥土に連れ去ろうというとき、その妻があまりにも悲しそうに泣くのを見て、少しの間浮世に戻してやった獄の使いにして、このような惻隠の心を表せるのは、彼が確かに尊い人格を持っていることの証だかし、無常のこの人情は、閻魔大王の罰を逃れることはできず、とうとう縛られて四十叩きの刑に処せられたれ以来、無常はもう二度と囚人を逃がすまいと決心したころが、彼が本当に許さなかったのは宰相に任命されたり諸侯に封ぜられた皇帝の親族だった。彼の矛先が向かうところは、法の網を逃れてのうのうとしている権威ある高官達の堅固な楼閣や鉄壁だった。

  初期に上演された『跳無常』では、演者のほとんどがプロの役者ではなく、「お盆のお祭り」に集まった人々の中から飛び入りで舞台に上がった労働者群衆だったから、決まった台本もなく、無常の素性と経歴がおおむね同じである以外は、多くの歌の文句や台詞は演じる人によってさまざまだったれらのセミプロ的なベテラン芸人はしばしば自分の苦しみや身の上を無常の口を借りて披露する。笑ったり罵ったり、時代の弊害を暴露したり、官界を批判したり、演技の場を利用して封建統治勢力に対抗して戦ったのだドリブに長けた芸人もいて、舞台で即興的に皮肉っぽい歌を作ってはすらすらと歌ったりする。そして時にはその村で最近起こったばかりの不正事件に対して手厳しい批判を加えたりする衆が普段はお上の眼が怖くて言いたくても言えない苦しみを無常が言ってくれると、観客はそのたびに心からの喝采の声をあげる。そして、地元の金持ちやそのどら息子たちは、霊界の魔物の祟りに怯えるが、何とも致し方ない。そんな営みが長く続く中、時代の流れに揉まれ、芸人の精進を経て、無常は豊かな人情味を具えるようになったのだ。

  新中国成立後、演劇改革が進めれれる中、劇作家顧錫東と浙江紹劇団の著名な俳優七齢童が共同で『跳無常』を演劇作品としてまとめ、独特な構成手法で民間に伝わっていた「送夜頭(厄払いの儀式)」も織り込んで効果的に無常の人情味を強調したれによって魯迅の言う「霊界の者だが人でもあり、理に適っている上に情もある、怖ろしくも愛すべき」姿がより明確にになり、注目された。

  『跳無常』の作者七齢童は自ら無常を演じた。その演技は滑稽味に溢れ、独特だったので、観客や専門家に絶賛された齢童は無常を演じるとき、自然体で決して極端な表現はせず、「冥界の者であって人でもある」者の性格の特徴をしっかりとつかんでいたが登場して見えを切ると、顔じゅうの演技、その泣いているのに泣いていないような、笑っているのに笑っていないような表情で、すぐさま無常の姿の喜劇性が明らかになるれに続くのは、一連の声のないパントマイム。例えば、一緒にお酒を飲みましょうと左右の観客に呼び掛けて、熱心に丁寧に招くと、すぐに観客との交流が生まれるか、当時の舞台で無常の妻と阿領(無常の息子)を演じていたのは、七齢童の嫁董皎皎と甥の小六齢童だった。これも又ある意味、無常の一家に「人情味」を添えたと言えるだろう齢童は面白くて分かりやすい台詞と、滑稽で洒脱な動作に加え、手にした破れ芭蕉扇で彩りを添えて、無常の公平さ、率直さ、朗らかな可愛らしさを十分に表したは、伝統演劇の矮(アイ)歩(ブー)(膝を曲げて腰を落としたまま歩く)趿(ター)歩(ブー) (引きずるように歩く)蹉(ツオー)歩(ブー)(跳ねるように歩く)を継承したほか、大胆にもチャップリンの独特な歩き方を参考にして、変化に富んだ適切な身体表現で無常という喜劇的人物をみごとに描き出したはまた、無常の「討論好き」という個性もしっかりととらえ、思う存分その個性を発揮させ、さえた声と豊かな表情で、仇のように悪を憎む正義感と強者に挑む勇敢な精神を突出させた。

  芝居の中で歌われる四段の「嘆世之詞」は無常の世の中の不正に対する力強い糾弾だともと、昔の芸人が口頭で伝えた記録では、官(役人)財(金持ち)文(えせ知識人)色(色欲の徒)に対する摘発は、屈折した文章表現で行われ、歌の文句に込めれれた。それは、「嘆かわしきは、官の星が高々と輝き、財の星が高々と輝き、文の星が高々と輝き、色の星が高々と輝く」というものの後、改変した脚本の筆の切っ先は更に鋭く、辛辣だ。「嘆かわしいのは、官職に目がくらんだ者、蓄財に目がくらんだ者、自ら才能があると驕る者、色気があることを得意に思う者」と変わった。一言で世の中の邪悪な淵を喝破した興は長い歴史を持ち、文人墨客を輩出した封建世襲の領地だった。その社会の病は頑固で得体が知れないが、それでも、無常の鋭い嘲笑と罵倒という言葉の刀で急所を突かれるのを免れなかった常の冷ややかな嘲笑と辛辣な風刺はその矛先を直接私利私欲のために法を曲げる恥知らずの官僚、全身金の匂いにまみれた腹黒い金持ち、いたずらに文章を弄ぶ見掛け倒しの先生、贅沢三昧の無軌道な暮らしに溺れるスケベ貴族に突き付け、彼らの卑劣な行動と醜い心根を赤裸々に世の中に暴露し、情け容赦なく鞭打つしてさらに、その者達がより頼んでいるのは只の氷山に過ぎず、「不義を重ねる者は必ず自ら滅び、その末路はみじめに違いない」と言い切る。

  無常が怖ろしいのは、彼が公平に法を執行し、権威を畏れないからで、愛すべきなのは彼の度量が大きく常に堂々と生きていて、人情味に溢れているからだれも又その芸術的イメージの民主性と大衆性である。

  しかし、「四人組」が横行した十年の動乱期には、正義感が強く肝の座った七齢童は、正にそのこだわりのない、一本気な、人におもねるを知らない性格故に、はっきりものを言ってはばからなかったので、常人の想像を絶する激しい批判闘争に遭い、虐待を受け、冤罪を負ってこの世を去った。誠に残念なことだ活と芸術は、時にこんなにも矛盾し、また、このような偶然のめぐりあわせもある。それを思うとき、納得しながらも、何か心に割り切れない悔しさ感じざるを得ない。

  幸いなことに、魯迅先生の生誕や逝去(1881~1936)を記念する周年には、『跳無常』や『女吊』など、人々が待ちに待った伝統演劇の名作が、上演され、新時代の花園の美しい景色を展開し、優秀な先輩芸術家たちの英霊を慰めることができる。

(原文は雑誌『文化娯楽』1980年5月号、また香港『鏡報』に転載
作者:金鐘(芹川維忠の当時の筆名)

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