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月曜日, 5月 13, 2024
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強烈な復讐の哀歌『女吊』

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  『女吊』は紹興の「目連戯」の一段で、民主性の精華を具えた伝統的な幽霊の芝居だ。物語は、貧しい家の少女の、父母を亡くして、埋葬の費用がないために、無理やり売られ、娼婦に身を落とし、屈辱を受け続けた末、首を吊って死んでしまうという悲惨な身の上だ。舞台に登場するのは、この「女の幽霊」、怨みが晴れず、憤懣やるかたない復讐者だ。魯迅の著作『且介亭雑文末篇』の中の『女吊』に次のような評論がみられる。「芝居の人物として創造された復讐者の中でも、他のどんな幽霊よりも美しく強い幽霊、それがこの『女吊』だ。」

  「目連戯」の起源は仏教の経典で、早く後梁の時代に『目連救母変文』という作品があり、通俗的な曲調で「目連救母」の物語が歌われた(形式は現代の「歌いもの」に近い)。宋や元の時代になって南戯が生まれた後、『目連救母』という芝居が創られ、浙(浙江省)、皖(安徽省)、贛(江西省)一帯で長い間盛んに演じられた。しかし、明、清時代の「目連戯」の脚本の中には、ただ『女吊』と『無常』はただの幕間の短い出し物があるだけで、彼らの身の上を嘆き語るという独立した芝居はなかった。その後になって現れた紹劇『目連救母記』は様相を異にした。その内容の主要なテーマの大部分はやはり因果応報の封建制の残りかすではあったものの、『女吊』や『無常』などの折子(ジョズ)(折子戯(ジョズシー):歌舞伎で言えば見取り狂言のような物語のトピックスを演じた短い芝居)は、芸人の努力で発展し内容が充実して大衆性を具えるようになった。それは、紹興の封建勢力が歴史的背景の下、特別に強固で、労働者人民はその厳しい迫害を受けたからだ。中でも女性の苦難は最も深刻で、女性が首を吊って自殺する事件も頻繁だった。そこで、抑圧する側と抑圧される側の闘争が様々な方法で描き出されるようになったのだ。「会稽は報復雪辱の郷、悪人悪事を匿うところではない!」と、紹興の人たちは災禍を除くために、全国でも珍しい「紅神廟」を建て、「吊死鬼(首を吊って死んだ者の幽霊)」を「女紅神」として祀る一方で、神に捧げる「社戯」の形式を借りて、舞台上で「女吊」の無念と怨みを切々と訴え、暗に手厳しく暗黒勢力に反撃を加えた。また、紹興の「目連戯」はセミプロの劇団が演じており、役者のほとんどが農民、漁師、錫箔(錫箔は葬儀で霊前で焼く紙銭の材料)職人や床屋などで、彼らは演じる役に自らの苦しみや憤りの感情をこめて演じる。また、民間で継続的に催される「盂蘭盆会(うらぼんえ)」などの習俗行事に合わせて上演され、農暦の3月中旬から7月中旬にかけて、村から村へと回って上演される習慣が長く続く中、絶えず手が加えられて質も向上し、「女吊」の人物像もより充実した魅力的なものになった。正に、魯迅先生が指摘した通り、『女吊』は演劇史上、紹興特有の「オリジナル作品」と言える。或いは、こうも言えるかもしれない。「『女吊』と『無常』は封建制度の汚泥の中に埋もれた二つの美しい珠としてその民主性と大衆性を永遠に輝かせ続ける」。

  魯迅先生はかつて紹興の『大戯(歌舞伎の通し狂言のような長編演劇)』と『目連戯』で、『跳女吊(別名『調女吊』)を観て、その様子を次のように描写している。「当然ながら、先ずは悲し気なラッパの音が聞こえ、しばらくして、門簾 (役者の登場口に掛かったカーテン)が開き、彼女が登場した。真っ赤な一重の上着に黒い長めのチョッキを着て、長髪を振り乱し、首には二本の紙で作った錠前を掛け、うなだれて、手もぶらりと下げ、くねくねと身をよじりながら舞台一面を歩き回る。芝居通の話では、歩きながら「心」という文字を書いているらしい。」「石灰のように真っ白な円い顔、真っ黒な濃い眉、落ちくぼんで黒い目の周り、赤い唇。」「彼女は両肩をややそびやかして、四方を見回し、聞き耳を立てると、驚いたようにも、喜んでいるようにも、怒っているようにも見えるが、ついに悲壮な声をあげ、ゆっくりと歌い出す。私はもともと楊(良)家の娘、ああ、辛いこと、神様!……と。」年老いた芸人の記憶によれば、初期に演じられた「女吊」の姿はとても怖ろし気で顔中の穴からは血が流れ出し、口には紙で作った真っ赤な舌が貼り付けられ、登場した後顔を覆った長い髪を後ろに振り上げると、前列で見ているこどもの観客は怖くて縮みあがった。その後、役者は次第に化粧を変え、首に掛けた紙の錠前も取り去った。当時の「女吊」は皆、女形が演じ、手を下ろし、肩を斜めに構えた姿勢は変化に乏しく、舞台上の動きも直線的で、演技も粗野な印象だった。それでも、「女吊」は畏れと尊敬が入り混じった強い印象を見る物に与え、広範な農民観客を強く引き付けた。

  解放後、社会主義演劇の改革を経て、芸人たちはさらに美しく更に強い「女吊」の幽霊造形を創りあげた。浙江紹劇団の著名な女優章艶秋は紹劇界の女優の第一人者だ。彼女は旧時代の女性の遭遇と運命を深く研究したので、彼女の演じる「女吊」は人間業とは思えないほど熟達していて、伝統的な演技の特徴を残しつつ、大胆かつ合理的に新しい工夫を加えた。彼女は先ず「女吊」に必要のない恐怖の要素を棄て、顔の化粧を完全に変え、貧しい家に生まれた素朴で美しい女性の本来の姿に戻した。愛すべき姿で舞台に登場することで、この女性が遭遇した不幸をより強く印象付け、観客の同情をさらに呼び起こした。続いて、彼女は「くびれ死んだ者」は両肩を上げることができないという演技の規定を打ち破り、終始手を下ろしている所作を変えて、「茶壷形」の奔放な姿勢(一方の手を腰に当て、もう一方の手で相手を指さす形)で、誰にも抑えられない前へ進む勢いを表現した。彼女はまた、両肩を交互に聳やかす動作を考案して、怒りを禁じえない反抗心を表現した。更に人の心を打つのは、登場するとすぐに伝統演劇の甩(シュワイ)髪(ファー)(頭を振って長い髪を操る技)という技を使い、舞台空間に大きな「心」という文字を書き、憤激を込めて「女吊」の復讐心を示し、力いっぱい抑圧勢力の邪悪な心を鞭打ったことだ。これは、古い上演形式でただ足の運びだけで心の文字を書いたやり方よりずっと明確で強烈だ。当然のことだが、振りほどいた髪を頭を振って操る技は一朝一夕で習得できるものではなく、長年の苦しい修行が必要だ。この他、彼女の歌は「女吊」の性格の特徴にぴったりと合っていた。一字歌うごとに一呼吸置き、歯を食いしばって、訴えるがごとく泣くがごとく、人の心に深く突き刺さった。つまり、章艶秋は微に入り細に入った表現手法を用いるうえで、「女吊」の生前の身の上に対する悲嘆に重点を置くことに注意したからこそ、道理に従って矛盾のない形でめらめらと燃え盛る復讐の炎を爆発させることができたのだ。苦しみが深いほど怨みも深まり、悲しみが大きいほど憤りも大きい、これは正に芸術の弁証法の顕著な効果だ。

  1961年10月、北京の中国人民政治協商会議の講堂で、魯迅生誕80周年を記念する文芸の夕べが開催され、浙江紹劇団の『女吊』も公演に参加した。周恩来総理ら中央政府の首長たちが公演を鑑賞した。公演後、周総理は舞台に上がり役者たちと記念写真を撮ったが、その際、章艶秋としっかりと握手して、彼女の「女吊」は強烈な復讐者の姿だと賞賛した。その後、『女吊』の舞台写真は北京の雑誌『戯劇報』の表紙を堂々と飾り、国内外で大きな関心と反響を呼んだ。

  『女吊』は抑圧された人民の苦しい闘いを世に提示し、封建制の暗黒に反抗する復讐の精神を体現したので、魯迅と周恩来総理の評価を獲得した。

  現在、このような良い芝居が文化の花が咲き誇る中国の大地いたるところに存在している。人々は、今の小康生活を楽しむとき、もしかしたら、頭に子どもの頃の思い出がよぎるかもしれない。芝居好きなお年寄りの趣味に付き合ってみると、今のこの良い時代がいかに得難いものであるかを感じる。だから、人生の先輩たちの貴重な芸術的成果に対する敬意がおのずと増し加わり、新しい世代のはつらつとした活躍には惜しみない拍手と喝采を送りたい。

(原文は雑誌『文化娯楽』1980年5月号、また香港『鏡報』に転載)
作者:金鐘(芹川維忠の当時の筆名)

  付録:『女吊』の脚本
  (女吊登場。
  妓女仲間では上位の私だけど
  憎き妓楼の女主人は鬼のよう
  追い詰め梁で首を吊らせた
  練り絹を掛けて命を落とした

  (台詞)わたくしは! 玉芙蓉。貧しい家に生まれ、父母は寒さと飢えで、死んでしまった。埋葬するお金もなく、妓楼に売られ、女郎を買うお客にいじめられ続け、妓楼の女主人は私を侮辱した。かわいそうな私は身よりもなく、行く当てもない、しかたなく梁で首を吊って死んだ。月が明るく、星はまばらなこのひと時、私の身の上をお話ししても、いいではないですか!

  (唱)
  私はもともと良家の娘
  貧しくて食べ物も着る物もない
  父も母も死んでしまった
  妓楼に身を落として辱められた(踊る仕草)
  (続けて唱)
  ああ、辛いこと、神様!
  妓楼に身を落として辱められた

  (唱)
  私は一枝の花
  西施より美しい
  歳はわずか13歳なのに
  妓楼の女主人はうず高い髷を結わせた(踊る仕草)
  (続けて唱)
  ああ、辛いこと、神様!
  妓楼の女主人はうず高い髷を結わせた

  (唱)
  もしお金持ちのお客を取ったら
  妓楼の女主人はほくそ笑む
  お客は皆、義理も人情もない人ばかり
  身請けを望んでも容易ではない(踊る仕草)
  (続けて唱)
  ああ、辛いこと、神様!
  身請けを望んでも容易ではない

  (唱)
  もし三日客が取れなければ
  妓楼の女主人は怒って
  大小のこん棒で打ち据える
  打たれて私は全身血まみれ(踊る仕草)
  (続けて唱)
  ああ、辛いこと、神様!
  打たれて私は全身血まみれ

  (唱)
  ある日病で床に就いた
  誰が薬をくれようか
  誰が私の夫だろうか
  誰が私の娘だろうか(踊る仕草)
  (続けて唱)
  ああ、辛いこと、神様!
  誰が私の娘だろうか

  (唱)
  とうとう梁に追い詰められた
  死んでも棺も墓もない
  わら布団です巻きにされて
  荒野に屍晒すだろう(踊る仕草)
  (続けて唱))
  ああ、辛いこと、神様!
  荒野に屍晒すだろう

  (唱)
  生きているときは万人の妻となったのに
  死んだら寂しい墓を参る者もいない
  野ざらしで雨に打たれ衣は犬に食われ
  やがて骨はばらばらに(踊る仕草)
  (続けて唱)
  ああ、辛いこと、神よ!
  やがて骨はばらばらに

  (唱)
  魂はうかばれず、恨みは消えない
  胸いっぱいの恨みつらみは怒りとなって
  いつか機会が訪れたら
  妓楼の女主人を生け捕りにして黄泉の国に連れ去ろう(踊る仕草)
  (合唱)私は決しておまえを赦さないーー

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