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日曜日, 5月 12, 2024
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『夜半の鐘声』担当編集者からのコメント

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  『夜半の鐘声』は芹川氏の自伝的小説。だが、ノンフィクションではなく、著者の想像の翼が広げられ、より高く、より遠くへと大きくはばたいた作品。その根底に流れているのは「愛と平和」である。

  第一部「寒山篇」の舞台は、主として中国。主人公・細川星の誕生から果敢な青春期にかけてのストーリー。

  第二部「拾得篇」は、成長した細川星が、舞台を日本に移して活躍し「活劇」的なシーンも展開する。

  注目すべきは、映像として読者の目に浮かぶ文章であること。映画や舞台の世界で活躍してきた著者ならではのものだ。

  「小説」である以上、内容を説明してしまうと興醒めになってしまうので、ここでは著者についてご紹介しよう。

  芹川維忠氏がこの世に生を享けた1944年(昭和19年)は、すでに日本が苦境に立たされていた時期である。旧帝国海軍・陸軍だけでなく、日本国民も戦時下の苦労を強いられていた。だが、著者の芹川氏には、それ以上のご苦労があったはずだ。

  それというのも、芹川氏は、旧日本軍の少将を父に、中国人を母にもつ。

  生まれは中国・蘇州で「上有天堂 下有蘇杭」=「天上には天国があり、地上には蘇州・杭州がある」あるいは「生在蘇州 住在杭州」=「生まれるなら蘇州、住むなら杭州」といわれた地である。

  なかには歌謡曲の「蘇州夜曲」(西條八十・作詞、服部良一・作曲)を思い浮かべる方もいるだろう。1940(昭和15)年の楽曲ではあるが、美空ひばり、都はるみ、ジュディ・オング、石川さゆり、小田和正、桑田佳祐、夏川りみ、平原綾香、高畑充希といった名だたるアーティストがカバーしている名曲である。

   さて、著者は、そののち上海と紹興で育つことになるが、軍人だった父は日本に帰国せざるを得なかった。ただでさえ戦後の混乱期、ましてや母親との暮らしとなれば、どれほどの苦労があったかは想像に難くない。

  だが、そうした苦難を乗り越えてきたのも芹川氏である。

  浙江省文化庁文芸創作で学び、映画評論家・脚本家として活躍する柯霊氏に師事、映画、舞台の世界に入る。ここで培われた筆力が本書の原稿に反映されているのだろう。

   ドラマチックな展開をみせる本書だが、その根底にある「愛と平和」の精神は、本書に収録された寄稿文にもあらわれている。

  寄稿者はイギリスのバーミンガム大学で歴史を研究する倉光佳奈子氏。倉光氏の「『夜半の鐘声』の歴史的意義」と題する原稿が「刊行によせて」として収録されている。

  倉光氏によれば「戦時中および戦後、現地女性と敵国兵士等との間に生まれた子供たち研究が、ヨーロッパをはじめ世界各地において進んできている。このような子供たちは英語でチルドレン・ボーン・オブ・ウォー(Children born Of War 戦争で生まれた子供たち)と、呼ばれている」という。著者の芹川氏も、その一人ということになる。

  前著『愛はどこから』にもいえることだが、本書の主人公は、どれほどの苦難があろうとも、それを乗り越えようとする姿勢をくずさない。それはまた芹川氏の生き方にも通じていることだろう。

  『夜半の鐘声』の第二部のエンディングには、まだまだこの先がありそうなニュアンスがある。芹川氏の手により、続編のなることが楽しみである。

   拙い本稿を執筆しているのは令和2年12月8日。奇しくも日本が太平洋戦争に突入した日である。

  著者が巻末に記した「戦争は幾多の惨禍や不幸を人々にもたらした。しかし――愛があれば、そのままで終わることはないと信じている」という言葉が心に沁みる。

  いま、世界は新型コロナウイルスと闘っている。この闘いを克服するとともに、世界が平和であることを願わずにはいられない。

(みなかみ舎 水野秀樹 2020/12/08)

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