風雨不動安如山
(風雨にも安心して暮らせる)
杜甫の詩「茅屋為秋風所破歌」より————
安得広厦千万間、大庇天下寒士俱歓顔、風雨不動安如山。
「もし部屋が千も万もあるような大きな家に安住できたならどんなに安心できることか。もし国が大判振る舞いの庇護をしてくれたら、私のような貧乏学者はみんな大喜びし、風雨でも心配せずに済むものを。」
詩人杜甫はここで感嘆する。「どうしたら、たくさんの部屋のある大きな屋敷を手に入れて、天下の貧しい読書人を、雨風にも心配することなく安心して楽しく生活できるようになるだろうか。」杜甫は、晩年苦しい生活を送っていた。詩の題からもその住まいの現状がうかがい知れる———茅葺の粗末な家は秋風に壊れてしまい、どうしようもない状況に思わず感嘆したのだ。しかし、彼の視線は決して自分の境遇だけに注がれていたのではなく、その視野を広げて、胸中の思いをありのまま、声を大にして訴えた。世の中が平等になり、大自然の風雨にも抵抗できるようになることを心から願っていたのだ。
力強く発展する歴史の流れの中で、杜甫たち古代の詩人の壮大な志や愛の精神は、既に慰めを受けている。東方文明の象徴である中国と日本の民間住宅は、華やかさを競い、色とりどりに美しいと言える。 それぞれの歴史があり、甲乙はつけがたい。ただ、詳しく観察すると、それぞれのこだわりがある。中国の不動産開発は都市部に近く、日本の不動産開発は郊外に広がっていて、かつ程度に差はあるものの交通、商業施設、学校、病院など一連の関連施設の総合的な開発計画をも影響を及ぼしている。どうやら、杜甫が切に願った山のように安定した生活は、今日、絵に描いたように美しい国の姿としてより現実的意義を持っている。
(編集者:秦川)