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留得清白在人間

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留得清白在人間
(この世に「清らかで白い」ということがあるということを留める)

明代の政治家、于謙の詩「石灰吟」より—

  千錘萬鑿出深山,
  烈火焚燒若等閒。
  粉身碎骨渾不怕,
  要留清白在人間

  「深い山奥から多くの手間を掛けながら掘り出された。激しい火で焼かれても、気にもかけない。身を砕くような辛苦も、全然厭わない(のは) ただ、この世に「清らかで白い」ということがあるということを留め(教え示し)たいからだ。」

  何の変哲もない平凡な石灰石だが、深い山から何万回も鎚で打たれて掘り出され、更には平然と激しい炎で焼かれて、やっと石材となる。このように身が粉々にされるのも恐れず、ただ清廉潔白を世に残すことを願っている。作者于謙は擬人法を使い、物に託して思想を表しており、その寓意は深長だ。文字の上では石灰石を賛美しているが、心の深いところでは、天下のことを我が事と思い、社会のためには我が身を犠牲にしてもという豪放な精神を表している。

  史実の記載によれば、于謙は清廉な役人で、国難においては軍務を統括し、敵に捕らえられた明の君主を救出し帰国させた。しかし最後は冤罪を着せられ殺され、彼の生前の志の通りになった。

  後の人々がこれを嘆くとき、古から今日に至る歴史の資料の中に、この類の冤罪事件が沢山あることを思い起こさないだろうか? 宋の岳飛から明の于謙、また、文化大革命前の潘漢年事件及び文革中の彭徳懐事件など。濡れ衣の悔しい思いは募り、謎の深い霧は重く垂れ込む。しかし最後にはほとんどの冤罪はすすがれ、英名は代々語り継がれる。「留得清白在人間(清廉潔白を世に残す)」というテーマと詩句「要留清白在人間」は一文字の違いはあるが、その違いは何約款と主観の違いだけだ。社会は最終的には彼らの清廉潔白を記憶にとどめる。彼らの清廉潔白は必然的にこの世に残るのだ。これこそが時代の継続的発展の原動力なのかもしれない。

(編集者:秦川)

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