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土曜日, 7月 27, 2024
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鉄道風景(2) 鉄道唱歌の碑

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  新橋駅のSL広場は日比谷口の正面にあたるが、同駅の汐留口付近には「鉄道唱歌の碑」と「D51機関車の動輪」がある。

  鉄道唱歌は、作詞・大和田建樹(おおわだたてき)、作曲・多梅稚(おおのうめわか)による明治時代の唱歌。多くの人に知られる「汽笛一声新橋を」のフレーズは、第一集・東海道篇の冒頭だ。ちなみに「国鉄」の時代には、特急列車・急行列車が始発駅を出ると、車内放送で、まずオルゴールの鉄道唱歌が流れ、列車名や行先、途中停車駅とその時刻、指定席車両やグリーン車などの列車の編成・設備について伝えられたものだ。

  その後、鉄道唱歌は「山陽・九州篇」「奥州・磐城篇」「北陸篇」「関西・参宮・南海篇」「北海道篇」と続く。まさに日本各地に広がる鉄道路線に合わせてつくられている。その路線拡張のなかで、東北地方にスポットを当ててみたい。

  東北地方最大の都市である仙台市と東京とが鉄道でつながったのは1887(明治20)年12月。仙台駅から上野駅までの所要時間は12時間半ほどだったと伝えられている。当時は「日本鉄道奥州線」だったが、1906(明治39)年に国有化され「国有鉄道東北本線」となっている。ちょうど、その過渡期に、この鉄道路線を利用した著名な人物がいる。仙台医専(現在の東北大学医学部)に留学していた魯迅(ろじん)だ。

  医学を志していた魯迅だったが、小説家として生きることを決意し、帰国。その後『狂人日記』『故郷』『阿Q正伝』などの作品を世に出した。日本に留学中の魯迅については『愛はどこから 波濤を越えた三つの物語』芹川維忠・虞希華 著(アーク出版)所収の「師恩――魯迅の青春」に詳しい。ご興味のある方はご一読いただきたい。

  また、仙台医専時代の魯迅についていえば、太宰治の『惜別』(新潮文庫)も読みたい本の一冊。太宰治は青森県出身であり、仙台とは「東北つながり」ともいえそうだ。

  新橋からは、ずいぶん遠くに離れた青森にまで話を展開してしまったが、さきほど紹介した鉄道唱歌の「奥州・磐城篇」は、東北線の上野駅から青森駅までと、常磐線の仙台から上野駅までが舞台となっているということで、ご了解いただければありがたい。

  ちなみに、東北新幹線を利用すれば、東京駅~上野駅~仙台駅の所要時間は、およそ2時間半…と書こうとしたところ、2月13日の午後11時8分、福島県沖を震源とする大きな地震があった。報道によれば「10年前の東北地方太平洋沖地震の余震」とみられるそうだ。ご安全を祈るばかりである。

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