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管中窺豹,時見一斑

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管中窺豹,時見一斑
(竹管から豹を見ると、その身体の一つの斑紋しか見えない)

『晋書・王献之伝』より———

  「此郎亦管中窺豹、時見一斑(管中より豹を窺いて、時に一斑を見る)」

  晋朝の有名な書道家王羲之の息子である王献之は、子供の頃に大人が遊びに興じていた時、口を挟んだところ、「この子は管を通して豹をのぞき見て、毛皮の模様の一つが目に入っているようなものだ」と笑われた。それは竹管から豹を見ると、その身体の一つの斑紋しか見えないということだ。

  後の人はこれを「管中窺豹」という成語にした。これには二通りの意味がある。一つは見識が狭く、物事に対する認識に限りがあるという意味で、明らかに卑しめる意味だ。二つ目はこれとは反対に、全体像を見ることができる、つまり、「豹の一つの斑紋を見て豹の全体を理解する」という意味で、明らかに褒め言葉だ。

  このことから、世の中の物事は常に「二つの面がある」ことが分かる。

  日中関係の歴史の長い流れの中で起こった数々の波を見ると、私たちは中国の養父母が日本の残留孤児を養ってくれたことに感動し、汶川地震に赴いた日本の救援隊員が犠牲者を厚く葬ったことを称賛した…

  これらすべてを、過去に起こった残酷な戦争を背景に、考えることができれば、その賛否両論もこの「管中窺豹」のように人を忸怩(じくじ)たる思いにさせる。

(編集者:秦川)

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