等閑識得東風面,万紫千紅総是春
(春風の顔は、簡単に見分けられる。花が色とりどりに咲き乱れてすべて春である)
南宋の朱熹の詩《春日》より———
「勝日尋芳泗水濱,無邊光景一時新。等閑識得東風面,萬紫千紅総是春。」
勝日芳を尋ぬ 泗水の濱, 晴れわたった日に泗水(しすい)の水辺で花をたずねて。
無邊の光景 一時新なり; 広くて際限がない風景が、(冬景色から)一挙に変わった。
等閒に識り得たり 東風の面,春風の顔は、簡単に見分けられる。(それは…)。
萬紫 千紅 總て是春。 花が色とりどりに咲き乱れてすべて春である。
朱熹の詩は爽やかで新鮮だ。見渡す限りの美しさに溢れた良い日に、泗水のほとりを散歩し、広々とした野原が新緑に覆われているのを見ていると、東風(春風)を感じずにはいられない。目の前には色とりどりの花々が咲き誇り、正に春真っ盛りだ。ずっとこのまま帰りたくない!と詠っている。
画竜点睛というべきは、「東風」の二文字だ。それは正に唐の詩人杜牧の「(もしも)東風が周郎に味方しなかったら(周瑜の軍は敗れて)曹操の宮殿である銅雀台は春深くして二喬を閉じ込めただろう」という感慨のとおりだ。もしあの東風が時期に適って吹かなかったら、赤壁の戦いを語り得ようか、三国鼎立も成り立とうか? こんなに美しい春に満ちた花園もなかった!
今の中国は勢いよく繁栄に向い、花々が咲き誇っている。実はこの繁栄も腐敗防止とクリーンな政治、改革開放、善隣友好、実直、明朗という力強い東風によるものだ。特に、中国と日本の民間友好往来としての貿易、観光、文化、教育、科学技術の分野での交流は春の筍のように盛んだ。うつろいやすい子どもの機嫌ではない限り、
堂々とした大人である政治家たちには美しい春の日を地上の天国に掲げる力があるはずだ。
(編集者:秦川)