礼尚往来,来而不往非礼也
(礼では行き来することを大切にする。来たのに行かなければ礼に合わない。)
『礼記・曲礼上』より———
礼は往来を尚ぶ。
往きて来たらざれば礼に非ざる也;
来りて往かざれば亦礼に非ざる也。
(訳:礼では行き来することを大切にする。行ったのに来なければ礼に合わないし、来たのに行かなければ礼に合わない。)
礼儀の国としての中国文化は、昔から礼を尽くして往き来することを重視してきました。行くことがあるのに来なければ礼儀に合わない。来ることがあるのに行かないのも礼儀に合わない。礼は往き来することを尊び、礼儀を重んじる。「往来」が最も貴しとされる。
現代の生活でよく言われることわざに、「肉まんで、犬をぶっても、戻ってこない!」というのがあるが、それは笑い話に過ぎず、「阿Qの精神勝利法」で、相手の無礼を解消したのだ。それなら、逆方向に考えてみてはどうだろう? 立場を変えて、相手の視点で理由を探してみてはどうだろう?たとえば、この肉まんの肉が腐っていたり、或いは毒があったら、「戻らない」ことは言うまでもなく、犬は狂ったように吠えるだろうし、甚だしきに至っては犬の飼い主が出てきて訴訟を起こすかもしれない。
礼儀は文明の象徴であり、指標だ。上下、左右、軽重、緩急、その間の紆余曲折はかなり面倒で、なかなか複雑かつ微妙だ。曇天あれば晴天あり円満な時もあれば欠陥のある時もある国際社会に対し、隣国との関係を適切に調整するとき、礼儀を優先し、歴史に照らして考えることがいかに重要で、局面を左右することか!
(編集者:秦川)