東邊日出西邊雨,道是無晴還有晴
(東の方では日が出て、西の方では雨が降っている。 晴がないといっても、晴れる時があるという。)
唐の劉禹錫の「竹枝詞」より
楊柳靑靑江水平,
聞郞江上唱歌聲。
東邊日出西邊雨,
道是無晴却有晴
楊柳靑靑として江水平く,
郞の江上に歌を唱ふ聲を聞く。
東邊日出でて西邊雨ふる,
道ふは是れ晴無きは却て晴有りと。
楊柳が青々として、川の流れは静かだ。
あの人(男性)が川の上で歌を唱う声きこえてくる。
東の方では日が出て(晴れて=有情)、西の方では雨が降って(晴れない=無情)。
晴がないといっても、晴れる時があるもんだよ。情がないようでも、実際には情があるんだよ。
春のある日、楊柳は青々として、川の流れは穏やかだ。恋人が歌う声が聞こえる。ああ!まるで東に太陽が昇っているのに、西では雨が降っているようだ。これは、これは晴(情)があるという事なのか、それとも晴(情)がないのか? 詩人はここで乙女のほろ苦い恋心のやるせなさを巧みに表現している。見事な比喩と思いやりの心で、一言に二つの意味を込め、人の心に沁みる。
このような声と感情の豊かな交流は、恋人同士にはありがちなことだ。友人や同僚との付き合いにおいては、晴れの日もあれば、雨が降る日もあることは避けられない。しかし、時がたてば、心を一つに共通の目的のために手を携えて進むことができる。とりわけ、長い歴史を持つ日中外交関係においては、未来の教師としての過去を忘れず、違いを認めつつ相互利益を求めるの事は、儒教的な考え方に適っているかもしれない。
情がないと言っても、実際はには情があるのだ。共に翼を広げて青空を翔けよう!
(編集者:秦川)