柳暗花明又一村
(柳が生い茂り、明るく花が咲いている村にまた出会った)
陸游の詩《游山西村》の初めの四句———
「莫笑農家臘渾、豊年留客足鶏豚。山重水復疑無路,柳暗花明又一村」
「農家が師走にしこんだ酒を、濁り酒と笑いなさるな。去年は豊年で、客をもてなすに十分な鶏と豚もある。山が幾重にも重なり、川の流れが複雑になっていて、もう進む道も消えてしまいそうな時、柳が生い茂り、明るく花が咲いている村にまた出会った。」
作者は農家が冬の日に醸造した濁り酒を笑ってくださるな、去年豊作だった農家の人たちは客をもてなすのが嬉しくて鶏を絞め、豚をつぶして、御馳走を十分に用意している。行く先は山々や渓流が入り組んで、もう先へは進めないかと思うかもしれないが、ちょっと向きを変えれば、柳が青々と茂って蔭を作り、赤い桃の花が鮮やかに咲いているのが見える。花の咲き乱れる村がまた一つ現れたようではないか?と語っている。ユーモラスな詩情を巧みな言葉遣いで綴っている。陸游の筆によって農家の人々が心を込めて客人をもてなす情感と同時に、農村の山水の美しい景色が描かれている。
しかしながら、陸游の別名は「放翁」(放埓な態度をそしられて自ら名乗った号)といい、彼の詩句は風景を的確に描写しつつ、その陰で思想を反映させて、人々の視野を広げ、山や川の風景を通して役人としての生活の在り方を見極めさせ、もっともな名言を伝えている。———何事も一定不変ではない、行く先には必ずや「柳が茂り花が咲く」世界がある———と、人々をこの世の道を邁進するよう導き励ましている。私たちはこの考え方を以て現実生活の時に明るく時に暗い様々な事象に対処する。一定の高さまで登って立つことが出来れば、目に見える光景はきっと豁然と明るく開け、心が晴れて愉快な気持ちになるだろう!
(編集者:秦川)