我無爾詐,爾無我虞
(私はあなたを騙さないし、あなたも私を騙さない)
『左伝・宣公十五』より———
「我は爾(なんじ)を詐(あざむ)くことなし、爾我を虞(あざむ)くことなかれ。」
春秋時代と戦国時代の「私はあなたを騙さないし、あなたも私を騙さない」という話です。楚国が宋国を攻撃し、楚国の王は自ら部隊を率いて宋国の首都である商丘を包囲した。対峙すること八か月、宋国は包囲を破ることができなかったが、楚国も攻撃できなかった。その後、楚の庄王は王のそば近く戦車を走らせていた側近申叔時の進言を採用して、三つの部隊にその場に兵舎を建てさせ、一部の兵士らに故郷の土地を耕しに戻るよう命令した。これは宋国に楚国が長期の包囲を考えていると思い知らせ、降参させようとしたのだ。ところが、宋国は敗北を認めないばかりか、大臣華元を夜陰に乗じて送り込み、楚の庄王の弟、将子反の寝室に闖入させた。
華は寝台から子反を引っ張り出し、言った。「宋国は包囲されて確かに困難な状況だ、しかし、これで屈服すると思うな。楚国軍が三十里後退すれば、宋国は他の条件を話し合う用意がある。」その結果、楚軍は撤退し、宋国は合意を履行した。和平合意の覚書には「我は爾(なんじ)を詐(あざむ)くことなし、爾我を虞(あざむ)くことなかれ。」と書かれた。
これが「爾虞我詐」または「爾詐我虞」という言葉の起源であり、あなたは私を欺き、私はあなたを欺く」という意味で、お互いに騙し合うということだ。
古くから現代にかけて、中国と外国の両軍が対峙した当時「兵士たちは騙し合いを厭わない」のは当然のことだ。しかし、隣国同士の国際交流では、東西の二つの主要な陣営や異なるイデオロギーの同盟の制約を受けたとしても、矛盾や紛争に対処する際には、誠実に接し、平和に共存するべきだ。
中国と日本の外交関係正常化45周年を記念する雰囲気の中で、古の知恵を今日に生かし、歴史を鏡とすることは、大いに学ぶ価値がある。
(編集者:秦川)