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日曜日, 5月 19, 2024
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愛はどこから――隠元禅師の日本渡来秘話

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(映画シナリオ)

2016年早春 第三稿 

  プロローグ

  一六七三年四月三日。
  京都、宇治地方の太和山。草木は青々と茂り、春も盛りを迎えている。山麓に広々と開けたなだらかな傾斜地に、中国明代特有の雅な趣の“万福寺”が緑陰の中どっしりとそびえ立っている。鐘の音がそこここから響き厳かな余韻が何時までも続いている。
  夕日が西の空に沈み、山影がぼんやりとかすむ。万福寺の内外には無数の僧侶たちが粛然と立っている。落日のなごりの光が僧侶たちの苦悩の表情を照らし、多くの者の目に涙が光っている。
  寺院の奥にある“松隠堂”から、突然甲高く悲痛な叫び声が聞こえてくる。“隠元禅師様が円寂なさった――阿弥陀仏!”
  遥か遠くの夜の帳の中で一筋の稲光が光ったかと思うと、ほどなくして重苦しい春の雷が地を這うように迫って来る。雷は寺院にある“放生池”をも揺るがし、波打つ池の水面から一匹の亀が頭を現し、緑色の眼を光らせてしきりに周りを見回し、雷が突然起こったわけを探っている。雷鳴が遠のくと、にわかに僧達の声が沸き起こった。“南無阿弥陀仏”の斉唱が夜空に響き渡る。

  朝日がゆっくりと昇り、美しく色づいた雲が次第に消えていく。
  “万福寺”は清新な陽光の下、ことのほか端正な姿を呈している。その周りで、そよ風に幟がひらめき弔いの旗がたなびいている。白い幟には全国各地の万福寺の名称が刺繍されている。京都のほか、九州、関西、関東、琉球、北海道など、千にも及ぶ。その幟の数が、教えの及ぶ地域の広さを示している。

  隠元禅師が円寂された“松隠堂”の正門がぎいっと音を立ててゆっくりと開かれ、蓮の形の仏座が僧達に担がれて静かに運び出され、境内の高台に設えられている精緻な造りの石塔にゆっくりと向かう。石塔の周りは一面の芝に覆われ、香炉から立ち上る煙に囲まれ、道に沿って灯された蝋燭の光が蓮の形の仏座にまるで生きているかのように粛然と端座する隠元禅師の御尊体をきらきらと照らす。揺らめく蝋燭の光で、白い眉の下の目を閉じた慈悲深く優しい禅師のお顔がかすかに見える。両の手で囲うように持っているのは使い込んでつやつやの竹製の真っ直ぐな禅杖。

  仏の御言葉を高々と唱える僧達の声は朗々と響く。隠元禅師の御尊体が塔の中に移され、鐘が三回打ち鳴らされると、突然、塔の先端から白い霧が降りてきて隠元禅師の体を包み込んで白玉の彫刻のように見えた。再び三度鐘が鳴ると、六人の僧侶の手によって重い石塔の門が厳かに閉じられた。
  またしても三度の鐘の音が響き、僧侶たちは高々と経文を唱えながら、列を成して前へ進み、再び“松隠堂”に入り、中堂の両側に並ぶ。中堂には隠元禅師の大きな肖像が掲げられている。周囲の蝋燭の炎が僧達の泪を照らしている。悲鳴にも似た鐘の音が遠くから、弱弱しく伝わってくる。
  肖像の傍らには天皇の父後水尾法皇直筆の“大光普照国師”という称号の軸が高々と掲げられている。もう一方に掛かっているのは隠元禅師の貴重な遺筆“孤旌独輝千山静”の剛柔併せ持った力強い七文字である。
  鐘の音は悲しげに響き、強い風が吹いている。すると突然青い雲が、どこからか漂ってきて、“放生池”の亀を乗せて、なんと後水尾法皇の軸と隠元禅師の遺筆の間をぐるぐる漂ったかと思うと、また突然、風の勢いに乗って七つの文字を巻き取って消え去った。二列に並んでいた僧侶たちは皆驚いて眼を見張り、開いた口がふさがらない。それぞれ驚きの声をあげながら雲を追って堂を出、亀を乗せてはるか空のかなたに流れていく雲をいつまでも仰ぎ見ている。
  青い雲が遠ざかり、鐘の音が高く低く響く中、隠元禅師の声が流れる。:“老僧隠元の物語がここに始まります。私は雲の流れに任せて漂ってまいりました。何処から漂い来て、何処へ漂って行くのか――――”隠元禅師の声が終わるに伴って雲はゆっくりと深い霧へと変っていく。

(一)

  朝靄のたちこめる中国北方の大地。静寂に包まれている。
  万里の長城《喜峰口》の堅固な関所がかすかに見える。濃霧の中次第に近づく切迫した馬の蹄の音、近づくに連れ勢いを増し、進軍の太鼓の響きのようだ。
  霧の中に軍旗が現れ、次第にはっきり見えてくる。旗に大書された“清”の文字が風にはためいている。鉄の鎧で身を固め関をめがけて押し寄せた清軍の進攻の勢いはもはや押さえられない。

  《喜峰口》の関はしっかりと閉ざされた。城壁の上に明の軍隊は一分の隙もなく陣を整え構えている。“明”の大きな旗の下、明の大将朱虎が毅然と立ち、手には鋭い剣を持ち、厳粛な面持ちである。
  清軍は弓矢の届く城壁のすぐ下に迫ると、おびただしい数の勇壮な兵士たちは即座に一文字に並び長蛇の陣を組んだ。一人の将校が弓を執って城門のやぐらめがけて挑戦状を射込んだ。
  朱虎は矢から挑戦状をもぎ取って開き、一読すると顔色を変えて激怒した。そこにはこう書かれていたのだ。“朱虎よ、朱虎、ねずみのような臆病者、門を閉じたその外は、いったい誰の領土か?”朱虎の吼えるような一声で出撃が命ぜられた。《喜峰口》の関所の門が大きく開かれ、朱虎が真っ白な軍馬にまたがって飛び出し、五つの隊伍に編成された将兵を従えて、精鋭の勇を大いに発揮して清の大軍に攻め込んだ。それはあたかも虎が狼の群れに飛び掛り、分散させて包囲し殲滅する勢いだった。
  蹄の音が次第にまばらになり、殺し合いの声が上がる。両軍は交戦し、刃は互いにぶつかり合い、軍服が血に染まる。すさまじい惨状が目の前に広がる……突然、戦場の耳を突くような騒音が消え、見るに堪えない血みどろの惨状も立ち込める霧に覆い隠されてしまう。

(二)

  朝もやが次第に晴れ、中国南方の福清黄檗山麓がくっきりと見えてくる。青々とした山々、美しい水の流れ、耳に快い鳥のさえずり。静かな森の木立の間から見える壮大な寺院“万福寺”は霞の中で厳かな光を放っている。
  寺院の裏には整然とした石段が、ひっそりと奥深い山道に連なっている。曲がりくねった山道を少し行くと滝があり、真下に落ちる銀色の水が激しくしぶきを上げている。
  その水しぶきの中、三人の若い僧侶“大眉性善”“独立性易”“木庵性瑫”が肌脱ぎになって合掌し、一本足で体を支え、もう一方の足を曲げてその膝に置き、まるで鶴のように立った姿で、頭から滝に打たれるままになっている。びくとも動かず静かに修行しているのだ。
  滝の傍らの奇妙な形の石の間から、六十を少し超えたぐらいの隠元隆琦が竹の禅杖を手にゆっくりと歩いてくる。その禅杖はまっすぐで棍棒の様に頑丈だ。隠元がそれで地を突くと音を立てる。隠元の歩調に伴ってその音がこつんこつんとこだましてくる。
  隠元禅師は滝の前の平らな白い砂地に着くと、ふと飛び上がって軽やかに禅杖を振るい始める。禅杖の動きと滝の中で石像のように動かず修行する三人の弟子の姿は、静と動が対照的にしかもすこぶる息が合っている。突然、隠元が振るう禅杖が飛び散って降りかかってくる一粒の水玉を斬ると、朝の光に照らされ、水晶のように輝く。
  身を躍らせて禅杖を振るう隠元禅師の目が一瞬きらりと光り、砕け散る水玉の色の中に幼い頃の風景が見えたかのようだ。

  五十年以上前。緑滴る春の景色が絵のように美しい福清黄檗山のふもと。
  きちんと手入れの行き届いた大きな茅葺の家。中から七、八歳の農家の男の子が出て来る。
  隠元禅師の声:“これが少年時代の私です。俗姓は林(リン)、名は曽昞(ゼンビン)。皆に阿昞(アビン)と呼ばれていました。”  
  少年阿昞は両手で“お蚕さん”を入れた箱を捧げ持っているが、箱の中の桑の葉が残りわずかなのを見て、大変困った顔をしている。
  “阿昞兄さん――”かわいらしい呼び声が、斜め向かいの灰黒色の瓦屋根に白い壁の屋敷の高い門から聞こえ、五、六歳の女の子がぴょんぴょん跳ねるように阿昞の前まで駆けて来るなり“阿昞兄さん、お蚕さん大きくなった?”とたずねた。
  隠元禅師の声が続く:“この子の姓は黄(ホワン)、名前は幽梅(ヨウメイ)、阿梅(アメイ)と呼ばれていました。私の幼なじみです。
  “阿梅、見てご覧、お蚕さんかわいそうに、桑の葉っぱがもうすぐなくなっちゃう!” 阿昞が言う。阿梅は首を伸ばして見るとすぐ眉をひそめ、“阿昞兄さん、じゃあ、昨日あげた葉っぱは?”と聞く。
  “知ってるかい? 糸を吐く前のお蚕さんは、それはたくさん食べるんだ!”
  “糸を吐くの? 糸吐くところって面白い?”
  “もちろん面白いさ。お蚕さんは糸で体を隠すんだ。”阿昞は秘密めいた口調で続ける。“そして誰にも見つけられなくなるんだよ。”
  阿梅は可愛らしく笑うと手を伸ばして阿昞の手を引き、自分の家に方に駆けこんで行く。
  黄家の屋敷にずんずん入って行く。阿梅は阿昞を裏庭に連れて行き、大きな桑の樹に向かってまっすぐ走った。
  阿昞は大喜びで、素早く樹に登り柔らかな桑の葉を摘んだ。阿梅は箱を持って樹の上の阿昞を尊敬のまなざしで見上げている。
  《お蚕さん》という歌が聞こえる
  丸々太って つやつや白い 伸びて縮んでゆっくり進む
  お蚕さんは 可愛いね 桑の葉摘んであげましょう
  桑の実は赤く 桑の葉は緑 むしゃむしゃどっさり召し上がれ
  お蚕さんの糸 心をこめて つむげば金にも値する
  ああい――  ああい――
  春のお蚕さん死ぬまで糸を吐き続け 
  繭に閉じ込められても本望
  来年桑が茂る頃 
  またこの歌を歌いましょう

  大きな桑の樹の下で阿昞と阿梅は地べたに座り、お蚕さんがむしゃむしゃと音を立てて桑の葉を食べる様子を見ては、嬉しくて得意になって大声で笑う。
  鈴のような阿梅の笑声が近くの書斎に届いたのか、窓が開いて、怒鳴り声が飛び出した。“うるさいぞ!”阿梅の兄黄道周(五十年後の南明抗清軍師)が窓から顔をつき出し、眼を見開いて笑い声の主を探している。
  隠元の声:“彼は阿梅の兄――黄家の若君黄道周、ずいぶん怒りっぽいようですが、こう見えても五十年後には有名な軍師ですぞ!”
  黄道周の目が笑いながら隠れている阿梅を捕らえた。そして妹を叱って“まったくお前はよく笑うなあ!何がそんなに可笑しいんだ?”
  阿梅は隠れるのをやめて大声で答える:“お兄ちゃんこそどなってばかり。なぜ笑っているか、見せてあげるわ!”言うが早いか、大きな蚕を一匹つかむと窓辺に駆けて行き、石の台によじ登り、手を伸ばして中の机の上に放り込んだ。兄は驚いて何度も叫ぶので、阿昞もどうしたのかと走って行って、石の台に立ち、窓の中を覗き込む。机の上には黄道周の書道の練習用紙が広げてあった。楷書で書かれた小さな字はどれも丁寧に書かれている。一方あの丸々と太った蚕は、筆や墨の間で、首をもたげ体をひねって得意げな様子だ。兄は驚かされて腹を立て声を荒げて妹を叱責した。
  雲行きが悪いと悟った阿昞は、手を伸ばして大きな蚕を取り戻し、石の台から飛び降りて、振り返って阿梅を抱き下ろした。二人は手をつなぎ、蚕の箱をしっかり抱えて、笑いながらその場を逃げ去った。

  滝の落ちる音が響き、水がきらきらと光る。隠元禅師は追憶から我に帰るとすぐに禅杖をまっすぐに立て、地面を数回打って音を立てた。滝の中の弟子たちはその音を聞いて修行を終え、滝から飛び出してきて、隠元の前に並んで立ち、声をそろえて挨拶した。“お師匠様、おはようございます!”
  隠元は禅杖で地面を打ちながら“大眉性善!”と呼んだ。
  “ここに!”と大眉が大きなよく通る声で応答する。
  “今朝のお勤めは如何かな?”隠元は鋭い目つきで辺りを見回す。
  “お師匠様、後ろの山をご覧ください!”大眉が言い終わらないうちに、隠元は後ろの崖に刻まれた一丈四方の《金剛経》という三文字を見ていた。数十名の僧侶たちが崖に捕まって経文を刻んでいる。文字の間で動く人影が見え、石に打ち込む鎚の音もかすかに伝わってくる。
  隠元は向き直り頷いて賞賛の意を表し、すぐまた禅杖で地を打って呼ぶ。“独立性易!”
  “ここに!”と応えた独立が、瞳をくるりとめぐらせ、振り向いて口笛を吹き、腕を上げて空中で円を描いて合図すると、たちまち山のほうから数十名の僧侶が駆けつけてきた。それぞれ竹かごを背負い、かごは薬草でいっぱいだ。独立は先頭の僧侶から一冊の書物を受け取ると、隠元に“お勤めとして、《本草綱目》に記された薬草のほとんどを採集しました。どうかお目通しを”と言った。
  隠元は満足げに再び頷いた。突然、がっしりとした体つきの弟子木庵がうなだれているのを見て、厳しい声で“木庵性瑫!”と呼んだ。
  “ここに!”木庵は胸を張って顔を上げたが、“わ、わ、私めはお勤めに成果なく、お恥ずかしゅうございます!”と言う。
  隠元はくすっと笑うと、“何も恥じることありませんよ。見なさい、あの者たちの中にはあなたが鍛え上げた片腕たちがいるではありませんか?”薬草を採ってきた数名の僧侶が、それを聞いて勇気を得たのか、お互いに目配せしながら少しずつ木庵の傍に寄ってきたので、木庵はいつまでも恥ずかしそうに照れ笑いをしている。
  “は、は、は!”楽しそうな笑い声の中、弟子たちは師匠の着実な足取りに従い、禅杖の地を打つ音に歩調を合わせて、渓流を飛び越え石を跨いで、飛んだり跳ねたりしながら寺に帰っていくのだった。

(三)

  万里の長城“喜峰口”の外、戦火は激しく煙が立ち上り、殺し合いの声が地を震わしている。
  清軍はこの頃すでに戦略を変更し、指令旗を高々と掲げていてもその戦略を読むことはできなかった。ただ、清軍は明軍の分割して包囲する戦法に対し、敵の隙を突いて攻撃し、敵の計略を逆手にとって優勢に立ち、関所から出て応戦してきた朱虎を逆に包囲してしまった。明軍は隊列を乱され、守備将軍朱虎は、右往左往して局面の変化に対応しきれず疲弊していた。
  清軍は一方で出撃した朱虎を牽制し、一方で城内への猛攻撃を行い、無数の勇士が雲梯を使って城壁をよじ登った。
  城壁上では迎え撃つ明軍が多勢に無勢の戦いで、大半が死傷した。城壁に上った清軍の兵士は勢いを得て軍旗を振った。城壁の下の明軍はそれを見て戦意を喪失し、次々に敗退していった。明の将軍朱虎は取り囲まれ、またがっている白馬も鼻息を荒くして堂々巡りを繰り返す有様だ。朱虎は剣を揮い、大声で叫び声を上げると、馬を御して跳び上がり、包囲を突破した。土煙の中、白馬も煙のように天に向かって消え去った。
  清軍は勢いに乗って関を破り押し寄せる。

  白馬は狂ったかのように疾走し、終に山道のうっそうと茂った森の中の寺の前で止まった。門を見上げると、ひんやりとした月明かりに照らされて明の宣徳帝から賜った金箔で飾られた大きな《大仏寺》の横額がぼんやりと見えた。
  朱虎は馬から降りて、疲れきった面持ちで手綱を手にゆっくりと寺の門をくぐった。

  “喜峰口”が破られ、清軍の鉄騎兵が荒々しく南下する。
  沿道の難民は列を成し、老人や子供を連れ艱難にあえぎながら進む。嘆きの声が続く。

(四)

  黄檗山“万福寺”の裏庭。
  隠元禅師は“松隠堂”に入ると禅杖を置き、机に向かって大きな画仙紙を広げ、筆を執り、たっぷりと墨を含ませ、独り言のように“人は! 人の初め、性本より善――”と言い、“人”という字の“はらい”を書こうとしたとき、目の前に三人の弟子が滝の中にいる情景が浮かび、筆を滝がまっすぐ落ちるように画仙紙の下の端まで下ろした……。
  濃い墨の一筆が紙面のほとんど右半分を占めた。
  隠元禅師は筆を手に一時沈思し、まさに左側に筆を下ろそうとしたとき、寺院の梵鐘が鳴った。午前の講話の時間になっていた。隠元は未練が無くもなかったが筆を置いた。

  万福寺の“大雄宝殿”、厳かで慎ましやかなたたずまい。
  宝殿内には僧侶が秩序正しく集まり、階級別にあるものは座しあるものは立ち、静かに禅師を待っている。
  宝殿の外の石段の上下、欄干の両側、大勢の信徒がところ狭しと立ち並び、やはり静かに荘厳で神聖な雰囲気に浸っている。

  隠元禅師はゆっくりと“大雄宝殿”に入って来て、釈迦牟尼の像の前に座禅を組んで座る。宝殿の中も外も一斉に“南無阿弥陀仏”が唱和され、その余韻は梁を伝わり、あたりに響き渡る。
  黄檗山の山道を前後に並んで駆けて来る者が二人。前が中国と日本を行き来する商船“福州号”の船主何素如、後は日本の長崎東明山“興福寺”の使者だ。
  二人とも汗だくになって山道を走っている。遠くで梵鐘が鳴るのを聞くやいよいよ足を速める……。

  “大雄宝殿”では隠元禅師が仏法を説いていたが、宝殿の外にあわただしい様子の者たちを見かけ、一目でその中から旧知である“福州号”の船主何素如を見いだすと、すぐに手を挙げて二人を殿内に招き入れた。

  隠元禅師の居室“松隠堂”。主と客が座っている。
  机の上には以前に届きすでに開封した三通の手紙が並んでいる。落款には皆“日本国長崎興福寺住持逸然性融”というきちんと整った楷書が認められる。
  隠元は使者が届けたもう一通の手紙を受け取り、感慨深げに“お二人とも労苦をいとわず、ご足労くださり尊い四度目の奔走を果たされました!”とねぎらうと、船主何素如は片手の拳をもう一方の手で覆う礼をして、“恐れ入ります、どうか手紙の内容をお確かめください”と答える。
  隠元禅師は封を切って手紙を読むと、“なんと!わが弟子也懶よ、――、この私に思慮が足りなかった、そなたを私の代わりに日本へ遣ってしまったが――不幸にも遭難したのか。ああ、悲しいかな、ここの所眠れず、しばしば訃報を夢に見たのはこのせいだったのか”と嘆く。

  回想画面が重なる。
  数ヶ月前の隠元の部屋。
  隠元は机の上の三通の招聘状を手に取り、三通目の封筒から便箋を取り出して悩んだ挙句、自分の優れた弟子也懶性圭を遣わして自分の代わりに仏法を伝えさせようと決めた。
  突然、也懶性圭の袈裟はぐっしょり濡れてしまった。なぜなら日本へ渡る航海中大風大波に遭い、船員たちと共に健闘したが、不幸にも荒波に呑み込まれてしまったからだ……しかし也懶の魂は消えず青い雲になって黄檗山に漂ってきて禅師の夢に現れ、涙を流しつつお師匠様へ袈裟を返したのだった――
  隠元禅師は夢から覚めたようにはっとして、日本の使者が恭しく差し出した也懶の遺品――袈裟を受け取った。両目に涙を溢れさせ、決然とした口調で“弟子が遭難したのは、師匠の私のせいだ。ここは、親が子の責任を果たさねば、天がお許しにならないだろう!”と言う。
  日本からの使者と同行した船主は跪き、声をそろえて礼を述べた。

(五)

  清軍の鉄騎兵は一路南へと破竹の勢いで進軍する。戦いの雄たけびは天を震わす。長江の北側は戦火が飛び交い、明軍は固く防備し、戦況は膠着していた。
  明の城壁は破壊されて血の海と化し、人も馬も地に倒れた。
  死体の山の中から、夜陰に紛れて一人の明の将軍が這い出して来た。彼は清の哨兵を襲い、鞭を振るって南明の都へと馬を走らせた……

  長江の南岸、南明の都はぼんやりと明かりが点り、薄暗い。
  南明の君主は連夜家臣を集めて、敵に抵抗する策を練ったが、文官たちは憂鬱な表情を浮かべ、武官たちも怖気づいている。
  ただ鄭成功大将軍は雄々しさを失わず、大きく前に踏み出して
  “揚州を守らなければ退路はない。昔から長江の北に拠点を置いてこそ、長江を天然の堀とすることができるという。いまや我々は背水の陣を敷いて、決死の覚悟で南下する敵を迎えようではないか!”と励ました。
  傍らの黄道周軍師も胸に成算があるようで、鄭成功に賛同して“成功将軍の言うとおりだ! 進撃しないのは退却に等しいが、今や退路は断たれた。ならば進撃して天下を成すべきだ。聖賢たる我らが君主は向かうところ敵なし。おおいなる明帝国は気概を持ってこそ逆境において勝利するのだ!
  南明の君主はその二人の言葉にその都度頷き、大いに奮い立って命令を発する。“鄭成功大将軍は先般台湾を回復し、その功績は顕著だ。今は清を退けるが急務。急ぎ軍を整えて南明を護るのだ!”

  空が白み、江南の運河は透き通ってきらきらと輝いている。
  鄭成功は黄道周と共に馬を駆り、運河に沿って東南の大地をめがけて遠く走り去った。

(六)

  隠元の居室をろうそくの火が明るく照らす。隠元は机に置かれた四通の招聘状をしばらくじっと見つめて考えていたが……身体の向きを変えて筆を取り、まだ完成していない画仙紙のあの滝のような一筆の左側に“孤旌”と書いた……。そしてまた筆を止めて精神を統一し、ろうそくの炎を凝視した。
  ろうそくの炎の中に、——
  隠元が子供時代を過ごした粗末な茅葺の家が見える。赤貧洗うがごとき困窮振りが見て取れる。
  父は苦渋の表情を浮かべ、貧しさゆえやむなく家を離れ出稼ぎに行くため、旅支度に身を包んでいる。母親は両腕を伸ばし幼い阿昞ら三人の兄弟を抱きかかえ、茅葺の家の戸口に立ち、涙で見送る。

  春の野良仕事、阿昞(アビン)ら阿兄弟三人は前のほうで犂を引っ張り、母はその後ろで、鋤を手に耕した。炎天下、泥の中を進むうち、顔中汗まみれの母は突然地面に倒れた。

  茅葺の家の中、母が横たわっている。阿昞(アビン)は三人兄弟の末子だが、一番気が強かった。兄たちに母の世話を託すと、自分一人で、父を探しに行こうと決意する。母は仕方なく、手を振って「早くお帰り」と見送る。阿昞(アビン)はすぐさま、跪いて別れの挨拶をした。黄檗山のふもと村の入り口の石造りのあずまや。阿昞(アビン)と二人の兄は別れを惜しみ合う。

  阿昞(アビン)はひたすら進む。故郷の福清から福州へ向かい、次々と県境を越えて、ついに福建省から浙江省へと入った。途中にある親戚を訪ねても、父の消息は得られなかったが、歯を食いしばって、進んだ。しかし、旅を続けるには物乞いして命をつなぐほかなかった。そしてとうとう、海港“銭塘江”に至るが、みはるかす大海原を前にして、途方に暮れてしまった。
  浜辺で遊んでいた金持ちのドラ息子たちは、みすぼらしい身なりの阿昞(アビン)を見ると、子供の乞食と見て、砂を投げつけたり、はやし立てたり、殴りかかってきたりした。阿昞(アビン)は一歩一歩と後ずさりするうちに、岸辺の大きな岩礁に追い詰められてしまった。
  阿昞(アビン)の足元には波が打ち寄せる。阿昞(アビン)は遠く水平線を望み見て、思わず天を仰ぎ大声で叫んだ。“おとうさーん――! どこにいるの? どうして行ったきり戻って来ないの?”悲痛な子供の声が空と海にこだました。
  急ぎ足で通りかかった四十がらみの僧侶が、阿昞(アビン)の叫び声に驚いて、駆け付け、他人の不幸を喜ぶドラ息子どもを追い払い、大股で砂浜の岩礁までやってくると、手を差し伸べて阿昞(アビン)を抱きおろし、そっと涙をぬぐってくれた。
  はるかに広がる海のむこうの水平線にいくつかの島が見える。幻のような色彩の霞がかかった島は美しく神秘的で、遠くから見るとまるで仙界のようだ。僧侶は島々を指さしてそれが、仏教の聖地“普陀山”で、自分は“普陀山”の観音寺から来た費通和尚だと阿昞(アビン)に告げた。
  “費、費通和尚様……ありがとうございました!”阿昞(アビン)が心からお礼を言う。
  “うむ。男子たるもの志をしっかり持って、軽々しく礼を言うものではない”と言う費通和尚は阿昞(アビン)に、一緒に普陀山に帰らないかと尋ねた。
  阿昞(アビン)は少しも迷わず“行きます!”と答え、鼻水をぬぐった。
  “よし。では行こう!”費通和尚は前方に錨を上げた船を見つけると、阿昞(アビン)の手を引いて、まっすぐ駆けて行くと、すぐ話をつけて乗り込んだ。
  二人はしっかりと寄り添って船べりに立っている。歓呼のような風を受け、嬉しそうに飛び交うカモメを見ながら、わくわくした気持ちを胸に、海のかなたの島――“普陀山”観音菩薩生誕の地に向かった。

(七)

  普陀山は雲と霧に包まれ仙境のようだ。島に建つ寺は雄大で厳かなたたずまいだ。
  阿昞(アビン)は目の前の“観音寺”を見上げて、しばらく立っていた。費通和尚は両手で寺の門を開き、にっこりと微笑んで、阿昞(アビン)を招き入れ、まっすぐ前へといざない進んだ。途中、忙しく行き来する僧侶たちと合掌してあいさつを交わす。観音菩薩の前に着くと、すぐ、跪いて最敬礼した。
  費通和尚は円座からゆっくりと身を起こすと、“これまでの道のりは苦労が多かったが、ここは安心できる。何か願い事があったら、菩薩様の前では、遠慮なく言って良いのだよ”と言い残して、門を閉めて行ってしまった。
  一人残った阿昞(アビン)は観音菩薩の前に跪いたが、たちまち、疲労感が襲い、両目がぼんやりと曇り、うとうとして自分がどこにいるかもわからなくなってしまった……
(幻の中で)阿昞(アビン)が顔を挙げると、観音様がこぼれるような微笑みを湛えて、優しく払子を振りながら、ゆっくりと蓮のウテナから離れて、自分のほうに歩み寄ってくださるではないか……あ! 阿昞(アビン)は溢れ流れる涙をこらえきれず、嗚咽して声にならない声で言った。“菩……菩薩さまあ、どうか、どうか私を、貧しい私を救ってください!”
  観音菩薩は阿昞(アビン)を、抱き起し、手を取りともに進み、雲に乗ってまっすぐ天へ上り、天の大いなる玉座に着き、堂々たる仏祖釈迦牟尼に謁見した。
  仏祖の声は大きな鐘のように響いた。“来る者必ず善、善なる者必ず行う。窮すれば則思いが変わり、自ら変わり、人を変える。”
  観音様が応える。“仏祖の導きで、知恵を授かり、悟りが開ける。自ら悟り、人を導けば、天下は泰平。”
  阿昞(アビン)は、むにゃむにゃと何かつぶやき、手でよだれをぬぐうと、夢から覚めたように跳び起きて、急いで門を開けて寺を出ると、門の外は霧に覆われていた。
  霧が炊事の煙に変り、目の前に現れたのは普陀山の寺院の炊事場。
  阿昞は使用人の仕事着を身に着け、太った僧侶に従って湯を沸かしたり煮炊きしたり、忙しく立ち働いている。太った僧侶は仕事の合間に、にこにこと微笑みながら満面の汗を拭うと、かまどの傍の木の枝を拾って地面に字を書きながら“苦海は無限に広がり、振り向けば岸がある。仏門は開かれているのだから、徳を積み善を行え”と唱える。阿昞は眼をぱちくりさせながら一字一字真似をして唱える。太った僧侶はその様子を見て大いに喜び、懐から《涅槃心経》を取り出して目の前の阿昞(アビン)に渡し、真顔になって言う。“これは費通和尚様が特別に私に命じたことなんだよ。おまえに仏様の教え入門を教えるようにと。全部で256文字。多くもなく少なくもない。必ずしっかり覚え込むんだよ。”
  “わかりました。この阿昞(アビン)しかと覚えます”と答えて《涅槃心経》をしっかりと胸におしつけた。
  東の空に朝日が昇り、雲が立ち霞がたなびく。“普陀山”観音寺は朝日に映えて、まるで天界の湖畔に建つ玉の楼閣のようで、なんとも言えない趣を呈している。
  この時、阿昞(アビン)が寺の炊事場の裏から出てきて、水桶の天秤棒を担ぎ、悠然と山を下りて水汲みに行く。道すがら、青々した“四季豆(ササゲ豆)”の畑で、倒れかけた豆の株を見つけると、すぐに足を止め、天秤棒を下ろして、豆の株をまっすぐに直して土で囲んで固めた……。
  山道の石段はくねくねと続いている。そう遠くないところに、清らかな泉が波立ってきらきら光るのが見えた。さらさらという水音もかすかに聞こえる。
  阿昞(アビン)は足を速めて泉のほとりへやって来て、桶で水を汲み、帰路に就く。しかし天秤棒を担ごうとしたとき、我慢しきれずしゃがみこんで、両手で泉の水をすくってごくごくと飲んだ。すると、たちまちすっきりと爽快な気分になった。立ち上がろうとすると、草むらの中に一匹の青い蛇が小さな亀にしっかりと巻き付いているのを見つけた。
  “おやおや、そんなことをしてはいけないよ。” 阿昞(アビン)は思わずあの夢に見た釈迦牟尼の教えを思い出したのだ。すぐに草むらに踏みこみ、手を伸ばして蛇と亀をゆっくりと引き離した。ところが、一方の手で蛇を草むらに戻したと思ったら、その蛇は憎々しげに鎌首をもたげて狙っているので、もう一方の手で亀をしっかりつかんで、放すに放せなくなった。一筋の陽光が木立の隙間から手のひらに射し込み、阿昞ははっと気づいて頭をあげると、もう時間も遅い。急いで亀を懐にしまいこんで、天秤棒を担ぎ、寺へ戻っていった。
  普陀山の山道を一歩ごとに高くなる。阿昞(アビン)は二つの桶を満たしたずっしりと重い泉の水を担いで、一歩一歩登っていくが、いとも軽々と担ぐ姿から、その技量の高さが伺われる。
  ちょうど、坂の上で、見回りしていた費通和尚がふと見降ろし、水を担ぎ、力強い足取りで坂を上ってくる阿昞(アビン)の姿を見つけた。和尚は嬉しそうに目を輝かせた。阿昞(アビン)が近くまで来ると、少し休むよう促し、微笑んで汗を拭くための手拭いを差し出した。
  阿昞(アビン)は思いがけない心遣いに戸惑いながら、慌てて首を振った。確かに、彼の顔には少しも汗が見られないのだ。費通和尚は驚嘆して“阿昞(アビン)よ、お前の内功の技量はずいぶん進歩したようだね!”と言う。
  阿昞(アビン)は、恥ずかしそうに顔を赤らめて“お師匠様の教えのおかげです。丹田の気を使っておりました”と答える。
  費通は思いやりのこもった口調で、“夜は《涅槃心経》を学び、早朝から水汲みをして休む暇もないようだが、文武の道は、強く張りつめることもあれば、緩めることも必要なのだよ!”と諭す。話しながら、ふと阿昞(アビン)の膨らんだ懐に気づく。
  阿昞(アビン)は懐から小さな亀を取り出して、泉のそばで蛇と亀を引き離したことを告げた。
  費通はその行いを褒めて、“それは良かった。善悪は必ず分け、常に慈悲の心を持つべし”と言い、前に立って歩き始めた。阿昞(アビン)は和尚の後姿を見ながら、“善悪は必ず分け、常に慈悲の心を持つべし……”とつぶやく。
  阿昞(アビン)は水を担いで炊事場に入ると、亀を小さな竹の籠に入れた。向き直ると斧と籠を手に炊事場の裏の薪置き場へまわり、慣れた手つきで薪割り作業に取り掛かる。その労作は速くて正確で、瞬く間に薪が積みあがった。
  ふと遠くから僧侶たちの“ふっ!” “はっ!”という武術修行の掛け声が聞こえてきた。阿昞(アビン)はその声に気づいて顔を挙げ、籠が薪でいっぱいになったのを見ると、思わず興が湧いてきて、ちょっと長めの薪を二本取ると、両手を開き、遠くの掛け声に合わせて練習し始めた。
  阿昞(アビン)の練習はすればするほど力がこもり、その一手一手が絶妙だ。普陀山の霧が次第に濃くなり、阿昞(アビン)の姿が霧に包まれていく。

  深い霧が晴れ、人の姿が現れる。この時、阿昞(アビン)は頭一つ分背が伸びており、凛々しい修行姿は僧侶たちの方陣にすっかり溶け込んでいる。全員は台の上の費通和尚の訓令を熱心に聞いていた。
  “阿弥陀仏、普陀に神のご加護がありますように。皆も知っているように、阿昞(アビン)は出家はしていないが、熱心にお経を念じることができ、厳しい修行にも耐えている。ここ数年で大きく成長した”と言って、費通和尚は、手を伸ばして振ると大きな声で宣言する。“本日ここで技量を試験する。文においても武においてもその高低をよく見定めるように。勝る者も、驕ってはいけません。栄光ある将来のために行うのですから! 皆さん、よく聞いてください。林曽昞、阿昞(アビン)が先ずやって見せなさい!”
  阿昞(アビン)は、大きな声で応えると、台に駆け上がり、拳を片方の手で包む礼をして、すぐに、《涅槃心経》を暗唱し始め、一息で256文字を抑揚豊かに、力強く高らかに詠じ終えた。台の下は一瞬しんと静まり返ったかと思うと、にわかにそろって称賛の声を挙げた。
  費通和尚は誇らしげに言う。“拙僧には数百を下らない弟子がいるが、この民間の信徒のように、お経を念じられる者は得難い存在だ。いつか出家のご縁があったときには、必ずや悟りの実を結ぶことでしょう。”
  続いて弟子たちの腕比べが行われた。多種多様な技は、それぞれ優れた特長がある。着実な拳法と強靭な肉体、内功による防御。しっかりと腕を組む防衛体勢は、罪なき者へ危害が及ばないようにという配慮だ。仏門が慈悲を基本とすることが見て取れ、普陀一派の公明正大な気概がみなぎる。阿昞(アビン)は、この真・善・美の雰囲気の中、顔は紅潮して輝き、全身に力がみなぎる。

(八)

  普陀山観音寺の外、青々と広がる“四季豆(ササゲ豆)”畑。
  阿昞(アビン)が旅の荷物を背負い、手にはあの亀を入れた竹籠を下げ、費通和尚に別れの挨拶をしている。
  和尚は目の前に広がる畑を指さして、感慨深げに“長年にわたって、あなたは文武両道の修行に励み、大きく成長しました。そのうえ、寺のために良い豆を栽培してくれた。普陀山はあなたに感謝しなければなりません!”と言う。
  阿昞(アビン)は、進み出て礼をし、“和尚様のお導き、これまで育てていただいたご恩に報いるのは当然のことでございます!今朝、母への孝を尽くすため故郷に戻りますが、いつの日か必ず和尚様へのご恩をお返しいたします!”と言うと、また深々とお辞儀をし、身を翻して去って行った。
  費通和尚は目に涙を浮かべて、しばらく立ち尽くし、遠ざかる阿昞(アビン)の後姿をいつまでも見送った。
  時は流れ、数か月の道のりを経て、普陀山の山道は次第に黄檗山の山道へと変わった。
  遠い旅路を帰ってきた阿昞(アビン)は足取りも力強く、悠然と手に下げた竹籠を悠然と揺らして歩いた。
  細い田舎道は、上ったり下ったりと起伏がある。高みから見渡すとはるかに見える故郷は変わらぬ姿で、懐かしさもひとしおだ。そんな思いをかみしめていると、村の入口の石造りのあずまやに、あの石造りのあずまやに阿梅(アメイ)が立っているのが見えた。そうだ。阿梅(アメイ)だ。あの内面からにじみ出るような美しい姿、間違いなく阿梅(アメイ)だ!
  阿昞(アビン)は阿梅(アメイ)も首を伸ばしてこちらを望み見ているように見えたので、“阿梅(アメイ)――!”と呼びかけた。“阿昞(アビン)兄さん――!” 阿梅(アメイ)はあずまやを飛び出して一目散に走ってくる。
  阿昞(アビン)も、迎えに駆け出した。亀は竹籠の中で上下に揺れて、まるで喜んで踊っているようだ。阿昞(アビン)は亀が興奮しているのに気づくと、足を止めて天を仰ぎ、心の中で釈迦牟尼に教えを乞うた。“お釈迦様、男女の行き来は慎むべきでしょうか?”
  天の声が答える。“善きかな! 今汝いまだ出家せざるに、いかでか遥か出家の道を語るや?”
  阿昞(アビン)の心の声。“ありがとうございます! わたくしめ、心得ました!”
  阿梅(アメイ)は近くまで駆けつけてきて、息を切らし、言葉が出ない。阿昞(アビン)ほっそりと美しく立つ阿梅の姿に見とれてただ照れくさそうに笑うだけだったが、ふと何か思い出したように、亀の竹籠を阿梅(アメイ)の目の前に掲げた。阿梅(アメイ)は驚きながらも嬉しそうに竹籠を受け取ると、愛情あふれる眼差しで、凛々しい阿昞(アビン)の顔をじっと見つめたので、阿昞(アビン)の頬が赤らんだ。阿梅(アメイ)はすぐにしゃがんで竹籠を開け、亀を取り出しすと地面に置いて自由に歩かせた。亀は道を知っているかのように、あずまやの方向へ歩いていくではないか。阿昞(アビン)と阿梅(アメイ)は顔を見合わせ、会心の笑みを交わすと、亀に付いてゆっくりと石造りのあずまやを目指した。亀はあずまやの前に来ると、不意に歩みを止めて振り向き、後ろに続く少年少女を見つめたかと思うと、頭をひねって左右を伺い、要領を得ない様子。そのとぼけた姿に阿昞(アビン)と阿梅(アメイ)は声をたてて大笑いした。
  突然、後ろから生真面目な声で尋ねるのが聞こえた。“阿梅(アメイ)――、何を楽しそうにしているんだ?”それは阿梅(アメイ)の兄黄道周だった。家来を伴ってあずまやの前に立ち、亀の行く手を遮っていた。阿梅(アメイ)の幼い頃からの性格は変っていない。亀をつかんで兄に見せ、笑って答える。“ふふっ!これって外は冷たいけど、中はあったかいのよ。お兄ちゃんそっくりね……”“無礼な!” 兄は怒った振りをして亀を奪い取り、しばらくその冷たい感触を手に感じると、自嘲的に“はは、確かに外は冷たく中は暖かい。実のところ、殻は固いが心は弱いってことかな”と言う。
  傍らで、阿昞(アビン)は機を捉えて黄家の兄妹に挨拶して言った。“黄家の兄上、妹殿、お別れ以来お変わりはありませんでしたか!お二人の冷たい外側と暖かい内側のお話し、硬と軟の論、氷と火の二重の天、正に玄学の陰陽論ですね。とても勉強になります。”
  黄道周は、“おお! 士は三日で、見違えるというが、あなたも、しばらく会わないうちにすっかり成長なさった。” と感嘆した。  
  “阿昞(アビン)兄さん”阿梅(アメイ)は思いをこめた表情で阿昞(アビン)を見つめて“すごいわ、阿昞(アビン)兄さんは普陀山に登って学問を身につけたのね!”と言った。
  阿昞(アビン)は赤くなって、恥ずかしそうに“学問なんて、恐縮です!”と答えた。
  黄道周は興味深げに手に取った亀を指して、“ほらほら、阿昞(アビン)、見てご覧なさい。この亀の甲羅の模様、なぜか八卦に似ていますよ。”
  阿昞(アビン)は近づいてじっくり観察すると、“ええ、八卦の規則性は、本当に不思議ですね。これはどうやら、天命ですね。”と言った。
  阿梅(アメイ)は笑って“はは、なにが天命ですって、なにが八卦ですって、みんなでたらめだわ! ”
  阿昞(アビン)は苦笑。阿昞(アメイ)は大笑いし、黄道周は怒ったり笑ったり。 阿梅(アメイ)は笑いながらその場から逃げ去った。
  夕方、炊事の煙が村の空に立ち上り、遠くからニワトリや羊の鳴き声が聞こえる。
  阿昞(アビン)は茅葺の古い我が家を目の前にして、思わずこみあげてくるものに鼻がツンとするのを感じた。抑えきれず大声で“母さん――!”と叫んだ。しばらくして、扉が開き、痩せて老け込んだ母が姿を現した。母の目には驚きと喜びと悲哀の涙が光っている。阿昞(アビン)は旅の荷物を放り出すと、膝をつき、ほとんど這うようにして母の方へ身を近づけ、泣きながら“母さん、阿昞(アビン)は親不孝者でした。父さんを見つけることも出来ず、面目ありません!”と言った。
  二人の兄が声を聞きつけて出てくると、涙にくれる阿昞(アビン)と母を抱きかかえて家の中に招き入れた。
  母は涙を拭いながら“帰って来ればそれでいいのよ! それより長い間、どこで苦労していたの?”と尋ねる。
  阿昞(アビン)は姿勢を正して、“苦労はしておりません! 普陀山観音寺で、貧しい人の活路を見つけたのです。このたびは、母さんに出家のお許しをお願いに参りました。もっと多くの貧しい人たちに活路を開くために!”と言う。
  母は驚いて目を丸くするが、顔をそらして“いいよ。私が死んだら出家しなさい!”と言った。
  阿昞(アビン)は一瞬、愕然とし、慌てて声を和らげて、“母さん、慌てないで、すぐじゃないんだよ、まずは親孝行だからね”と言いながら、母の後ろに回って、そっと背中を叩きながら、黙って涙した。

(九)

  陽の光に照らされて、黄檗山は緑に包まれる。木々の葉は豊かに茂り、きらきらと輝く。
  坂の下の畑で、阿昞(アビン)は一心に四季豆(ササゲ豆)を植えている。ふと、腰を伸ばして顔を挙げ、新鮮な空気を深く吸ったその時、黄家の使用人が坂の上の道をやってくるのが見えた。その使用人はどうも見たことのある顔で、確か、あずまやで黄道周に会ったとき一緒にいた者らしい。その使用人は手に籐で編んだ籠を下げている。近づいてくると、はは、と笑って“ちょっとお邪魔します。若旦那様に、野菜を届けるように言われましてね”と言う。
  阿昞(アビン)は大股で道に上がると、“それはそれは、ありがとうございます!ありがとうございます!”と言いながら、使用人が両手で差し出す籐の籠を受け取り、よく見ると、“おや!四季豆(ササゲ豆)ですね。柔らかそうな四季豆(ササゲ豆)!ご覧ください、私は今こうして四季豆(ササゲ豆)を植えているんですよ。お宅ではもう収穫なさっているとは!”と称賛した。
  “はは、先も後もございません、年中豊作ですから!”と使用人は二言三言愛想を言うと、真顔に戻って、“若旦那様が、今夜は良い天気で、夜空もさぞさわやかに晴れるだろうから、阿昞(アビン)様をお招きして、一緒に星空を見たいと仰せです”と告げた。

  阿昞(アビン)は、心から感激したが、すぐさま、“そのように言っていただくとは、もったいない!”と答えた。
  使用人は少し笑って、“遠慮は無用ですよ! あなた様の八卦の学問、若旦那様はぜひお聞きしたいと仰せですから”と言う。

   夜になると、満天の星空。
   黄家の屋敷の大きな桑の木の下。書斎の外の石台に、黄道周と阿昞(アビン)が並んで腰掛けている。二人は書斎の窓の台板に寄りかかって満天の星空をじっと仰ぎ見ている——
   黄道周が詩の創作意欲を駆り立てられて、“夜の空はもともと色はないが、星空はこの上なく美しい、阿昞(アビン)そうだろう?”と言うと、阿昞(アビン)は“今夜は興が乗っているから、星空だけでなく、何を見ても美しく見えるのでしょう”と答える。
   黄道周は驚き喜んで、“おや、まったくその通りだ! では、聞くが、この果てしない空はどれほど広いのだろうか?”
   阿昞はちょっと考えて、“そうですね、それは星空を見る人の心の広さの分だけ広いのだと思います。”
   黄道周は非常に感心して“いやあ、たいした秀才だなあ、将来はきっと大物になるよ! 僕たち、兄弟になろう”と言う。
  阿昞(アビン)は慌てて、“恐れ多いことです! いや、この宇宙の下、もともと皆家族ではありませんか……”と答える。

  だれも気付かなかったが、二人の後ろの書斎では、阿梅(アメイ)が耳をそばだてて盗み聞きしていた。しかも、口を押えてクスクス笑っていたのだ。傍らの小間使いが眉をひそめて手を振り、部屋に戻ろうと促す。阿梅(アメイ)は頷くと、口を押さえながら、忍び足で小間使いと共にその場を離れて行った・・・・・・。

(十)

  花開き花散り、河が東へ流れるうち、月日もまた流れた。
  阿昞(アビン)の母が世を去った。喪服に身を包んだ兄弟三人は葬列の先頭に立って静々と進んだ。(死者のために燃やされる)白い紙銭が彼らの頭上で舞い、足元に落ちた。
  兄弟三人のゆっくりとした足取りが阿昞(アビン)一人の大またの流星のような急ぎ足に変る。――阿昞(アビン)は力強く、幾重にも連なる石段を登って行く。石段で固められた山道は、この地で最も有名な“萬福寺”に向かう道だ。

  “萬福寺”と言えば、非常に有名で、周囲百里の誰もが皆知っていた。数年前、仏教の聖地普陀山から費通大和尚が派遣され、住職に就任して以来、線香の煙はいつも盛んに立ち上り、仏事も頻繁に行われ、慈善事業も大々的に行われて、各地に評判が伝わっていた。阿昞(アビン)も、そのことはとっくに承知していたが、母との約束を守り、今やっと志を果たそうと、恩師費通和尚のもとへと、急いでいるのだった。阿昞(アビン)は当時普陀山で受けた恩師の教え“善悪は必ず分け、常に慈悲の心を持つべし”を忘れてはいない。自身が師の教えを実践した亀の竹籠を携えることを忘れてはいない。竹籠は大きくなっていた。中にいる亀も明らかに大きくなっていた。
  厳かなたたずまいの萬福寺“大雄宝殿”、住職の費通和尚はすでに長老の装束を身に纏い、眉の辺りには意気軒昂たる気性と深奥な知性が現れている。この時、費通和尚は襟を正して端座し、数珠を指でひねりながら、唇を震わして何かを待ち、何かを祈っているようだった……
  “和尚様――!”阿昞(アビン)は“大雄宝殿”に入るや跪いて、嗚咽に似た声で、“和尚様!私は、阿昞(アビン)はどんなに和尚様のことを恋しく思っていたことでしょう!と叫ぶと、感激のあまり、手元が緩んで、竹籠を取り落としてしまった。
  費通住職はぶるっと震えると、突然すっくと立ちあがり、小走りに阿昞(アビン)に近寄り、阿昞(アビン)が我を忘れて恩師の方に差し伸べた両手を手繰り寄せ、涙をこらえながら、“阿昞(アビン)――、私とていつもあなたのことを思っていましたよ。だが、顔を挙げてお釈迦様を見てごらんなさい。お釈迦様は、それ以上にあなたのことを心にかけてくださっていたのだよ!”と言い終わらぬうちに、阿昞(アビン)の手を引いて立たせた。
  阿昞(アビン)が振り返って見ると、“大雄宝殿”の中央に釈迦牟尼像が突然現れ、そのお顔は普陀山で初めて夢に見た釈迦牟尼の微笑みを彷彿とさせた……ゴーン! ゴーン! ゴーン!突然梵鐘の音が響き渡った。偶然の一致なのか、聖霊の呼びかけなのか?
  隠元の声:“あの年、私は既に二十八歳になっていました。願いかなって、出家する直前のこと、真の意味で、仏門に入ったのです……
  梵鐘が高く低く鳴り渡り、読経の声が一斉に響く。阿昞(アビン)の剃髪の儀式が、萬福寺で厳かにとり行われた。傍らに置かれた竹籠の中では、あの好奇心旺盛な亀が鐘の音にひかれて頭を出した。 亀は首を伸ばして、しきりに頭を回した。まるで、寺院の鐘の音以外に、別の音を聞きつけたかのように……

  果たして、おめでたいラッパの音が聞こえてきた。黄の屋敷が提灯や赤いリボンで飾られ、お祝いの音楽が高らかに奏でられている。
  しかし嫁入りを待つ阿梅は部屋に隠れて暗然と涙を流し、なかなか着替えようとしない。兄の黄道周は、部屋の近くを行ったりきたりして、辛抱強く説得するのだった。
  太鼓が打ち鳴らされる中、爆竹がいっせいに音を立ててはじけた。黄の屋敷からようやく嫁入のかごが担ぎ出され、嫁入りの行列に従ってゆっくりと揺れながら去っていく。嫁入りのかごが萬福寺の近くまで来たとき、かごの御簾の隅がめくられ、阿梅の悲しげな目が現れた。その目は万感の思いを湛えて寺院のほうを遥かに望んでいる。
  嫁入りのかごは曲がりくねった山道の奥へと進み、やがて消えていく。

(十一)

  梵鐘が鳴り、夜が明けた。
  隠元の部屋の蝋燭はとっくに消えていた。 一晩眠らなかった隠元禅師は、軽く目をこすり、やっとの思いで甘くまた苦い追憶から現実に立ち戻り、元気を奮い起こして大雄宝殿に入った。
  壮大な広間にはたくさんの人がうごめいていて、皆興奮しつつも秩序正しく、点呼に従って列を作っている。
  隠元を中心とする日本行きの僧侶と信徒、名匠は合わせて三十余名だった。
  滝に打たれても微動だにしなかったあの三人の弟子、すなわち思慮深く智謀に長けた“大眉性善”、医術に優れた“独立性易”、力持ちで忠誠心の強い“木庵性瑫”等である。
  名匠の中には仏像彫刻の名匠范道生もいる。大小の彫刻刀を背負った姿は目を引く。“福州号”の船主何素如と日本国長崎“興福寺”からの使者も帰国の列についている。
  隠元がこれらの人々を率いて大雄宝殿を出ようとすると、思いがけないことに宝殿の外に大勢の僧侶や信徒が千人以上集まって跪いているのだった。ざっと見ても千人を下らない。
  宝殿の外に集まった千人の人々は隠元が出て来ると、にわかに泣き叫び天地を揺るがす勢いだ。
  隠元はいたく驚き、あわてて手を振って制止した。泣き声が弱まると、隠元は傍にいた後任の住職に“これはどうしたことか?”と尋ねた。
  “皆禅師の日本行きをお引止めしようとしているのです!”
  “ああ、悲しまないでください! このたびの渡日は三年の約束で参るのです。黄檗の仏法を広め、万福寺の栄光を顕す為に!”隠元禅師は大きな声で宣言し、続けて二句の詩文が口をついて発せられた。“しばし故郷の十二の峰々を離れる 青空が広がり雲が消えるとき(明の復興を指す)帰り来る”。
  後任の住職も進み出て、人々に向かって大声で呼びかけ慰める。“隠元禅師は日本に渡り仏法を伝えられるが、これは祖先の栄誉を高めるお仕事です。三年でお帰りになると約束しておられます。皆さんご安心ください。”
  集まった千人の人々は、たちまち喜んで、高らかに喜びの声をあげ、その声は山々を震わした……

  万福寺の正門の前に、高齢のため隠居している費通和尚がこちらに顔を向けて立っている。両手で、竹で編んだ精緻な漆塗りの箱を捧げ持っている。その顔は深い温情のこもった微笑みを湛えている。
  音楽の中、隠元が僧たちを従えて寺院から出てくると、正門に立つ費通和尚の姿を遠くから望み見ると、思わず歩みを速め、急いでその前に行き礼を尽くして挨拶した。“和尚様、わざわざご足労いただき、お見送りくださるとは、感謝に堪えません!”
  費通は漆の箱を掲げて微笑みながら言う。“遠くへ旅立つのだから、是非お別れをと思うてな。中に何が入っていると思うかね?”
  隠元は恐れ入って“恩師のお言葉には深い意味があり、とても私の知恵の及ぶものではありません。拙僧、その意味をお聞かせいただきたく存じます!”と申し上げた。
  “事のいきさつは、開けてみれば、わかりますよ”と、費通和尚が愉快そうに笑って漆の箱をゆすると、ザァザァいう音がする。
  “おや……ザァザァと音が、まるで波の音のようです!”と言いながら、隠元は用心深く、箱を受けとり、開けて見るや、しきりに感激して“ああ!やはり深い意味があったんですね。恩師の励まし、一生忘れません!”と言う。漆の箱には、つやつやと見事に実った四季豆(ササゲ豆)が100粒近く入っていたのだ。
  隠元は感激のあまり、何か言おうとしても言葉にならず、ただ漆の箱を捧げ持って周りの僧侶たちに見せた。
  すると誰かが、大きな声でこう叫んだ。“ああ!四季豆(ササゲ豆)は、隠元豆ともいうでしょう?” “そうだとも、四季豆(ササゲ豆)は代々受け継がれ、このたび日本へ渡るのだ!”周囲に沸き起こった声は遠くまで広がっていくのだった。

(十二)

  日本への仏法伝道のために旅立つ三十余人は山道から、海辺に通じる大路に踏み出した。僧侶たちは大小の荷物を肩に担いだり車で推したりして運んでいる。十数個の大小の行李には“種”“薬”“書”“芸”などの文字のしるしが付けられて人目を引いた。
  馬の蹄の音がして、土煙が立つ。後ろから鄭成功と黄道周が駆けつけてきて、僧たちを追い越し、列の先頭に来る。隠元禅師と分かると、すぐに手綱を引いて馬を下り、礼をする。
  三人は並んで歩いている。鄭成功が問う。“隠元禅師殿はどちらへいらっしゃるのですか?”
  隠元は“日本へ渡って仏法を広めます。鄭将軍の管轄地を通らせていただきたい、ご協力賜れば、ご恩は忘れません!”と答える。
  鄭成功は目を輝かせ、心から言った。“仏法の普及にご協力できるなら、喜んでお引き受けいたします。最近ちょうど私が防衛に当たっている港に一艘船が停泊しています。隠元禅師殿の渡航にお使いください、必ずやご無事にお送りいたします。”
  隠元はこれを聞くと大いに喜び、合掌して感謝を述べた。“将軍のご好意、感謝に堪えません! 将軍のご母堂が九州に居られると聞いております。ちょうど私たちが必ず通るところです。何かお届けするものなどあれば、何なりとおっしゃってください。”
  鄭成功はわが意を得たりとばかり、感激して答える。“家書千金に抵う、そう来なければ噓だ! 船出のお別れのとき、きっと禅師殿にお託しします。”

  程なくしてすぐ近くに黄の屋敷の高い門が見えた。黄道周は一同に屋敷に寄って休むよう熱心に誘った。

  黄家の屋敷の使用人たちは忙しく行き来して僧侶の一行を広間に招き入れ、食事を振舞った。
  かつて住んでいた場所に戻ってきた隠元は、目を挙げてあの大きな桑の木を見つけると思わず歩調を緩めた。回廊に至って、突然それほど離れていない亭に白髪交じりの黄幽梅が座っているのを見て、慌てて立ち止まった。二人は見つめ合い、何か言いたいのだが、ためらって言わない。それでも隠元のほうが前に進み出て“よきかな、よきかな、相見る時難く別れるも亦難し!”
  黄幽梅はわずかに顔を上げると、目をそらして“――春風の力及ばず、花々は散ってしまった!”と続けた。隠元はそれを聞くと目を伏せて後ろに下がり、もとの場所に戻った。
  黄道周は後ろから追いかけて来たが、この様子を見ると、隠元にいささか申し訳なさそうに“ああ、妹は嫁ぎ先で不幸に遭い、ここで長年後家を通しています……様子は変ってしまいましたが、性格は変らないもので、失礼しました!”
  後からやってきた鄭成功は言葉に二重の意味をこめて“国土の山河は移せないが、性格は変えられる。ただ惜しむらくは……縁ですよ、縁、縁があるも無いも天の思し召し、天には情けがないのでしょうか?”と言った。
  隠元はすぐさま合掌して言う。“天に情けがあったら、私たち僧侶は何のために存在するのでしょうか? 阿弥陀仏!”
  傍らで目を伏せて黙っていた黄幽梅が突然問いかける。“阿弥陀仏、男女に区別がありますか?”幽梅は隠元が答えようとして、口をつぐむのを見ると、立ち上がって去っていった。間もなく後ろのほうから男たちの笑い声が聞こえた。

(十三)

  アモイ港の波止場(古くは中左と呼んだ)。商船の帆柱が林立し、活気に満ちた景色。
  港の近くに海に垂直に面して聳える高台があり、頂上には奇妙な形の岩が重なり合って互いに支えるように立っていた。鄭成功、黄道周と隠元はここに登り、見事な岩の景色を仰いで感嘆した。
  太鼓を交えた音楽が、坂の下から聞こえたかと思うと数百名の鄭家の兵士たちが列を作って進んで来て、徐々に高台の頂上に集まって来た。奇妙な形の岩の中央にとりわけ大きな岩が聳え立っていて“仙巌”の二文字が刻まれていて、非常に厳かな雰囲気だ。その岩の正面には祭壇が設けられており、供物や墨や硯が置かれている。三十六人の兵士が列から歩み出て高台の頂上に登り、音楽に合わせて“周礼佾舞”を舞い始めた。踊り手たちは列を組み替えながら次第に鄭成功、黄道周、隠元の三人を中央に導き取り囲んだ。
  鄭成功大将は両腕を大きな岩に向けて唱える。“神が仙岩を挙げて波を鎮める”
  黄道周が天を仰ぎ、すらすらと唱える。“雄雄しき忠誠の心を天は知りたもう”
  隠元は周囲を見回すと、萬福寺を出発したときの情景を思い出し、感情が高ぶり、目に涙を湛えて続けた。“しばし故郷の十二の峰々を離れ、青空が広がり雲が消える頃帰り来る”。
  祭壇の傍らで、従者が筆を執って以下の四句の詩文を書き留めた――
  神が仙岩を挙げて波を鎮める
  雄雄しき忠誠の心を天は知りたもう
  しばし故郷の十二の峰々を離れ
  青空が広がり雲が消える頃帰り来る

  禅師は大股で祭壇に歩み寄り、筆を執って豪快に大きく“禅”の字を書くが、何かに想いを馳せてか、最後の縦の一筆を長々と下へ伸ばした……鄭成功は興味深げに見ていたが、笑って“はは、もう十分だ!”禅師はまるで突然正気に戻ったかのように、すぐさま筆を置いて手をぬぐうと、やや自嘲気味には、は、と笑って“お恥ずかしい!”と言うと、その書を鄭成功大将軍に贈った。
  鄭成功は両手で受け取ると、礼を述べる。“禅師の書かれた禅の字、ありがたく頂戴します。代々大切にいたします!”

  “国姓爺”と記された巨大な船体と三本の帆柱は波止場の船の中でも人目を引く。若い僧侶たちが忙しく船に荷物を運び込んでいる。いくつかの大きな行李に書かれた“種”“薬”“書”“芸”などの文字がはっきり見える。
  鄭成功の一行が“国姓爺号”の傍らで別れを惜しんでいる。
  隠元は合掌して謝意を表し、前に言っていた“家からの手紙で託されたこと”を尋ねた。
  鄭成功は微笑んで傍らの商人の姿をしたがっしりした大男を指し、“この男は鄭彪と申します。私の母が彼を禅師のお伴にと文を寄こしました。道中護衛になりますし、母の願いでもありますから。”と言うと、近衛兵の手から受け取った四角い紫檀の“礼盒”(贈答用の箱)を隠元に送る。
  隠元は箱を受け取ると、箱の蓋に金箔装飾で刻まれた“縁”の文字をじっと見つめた。
  鄭成功は謎めいた目を細めて微笑み、“縁――この世で結ばれた縁は、永遠に続きます!”
  隠元は感じ入って“大将軍殿のお心遣いに感謝します。至れり尽くせりです!”
  黄道周は豪快に、“禅師様の道中のご無事をお祈りします。三年後、ここがこのままの姿で変らなければ、私たちは縁で結ばれていますから、きっとまたお会いできます!”と、言っている間に隠元禅師はしっかりした足取りで“国姓爺号”に乗り込んだ。
  ほら貝の合図で“国姓爺”は三本のマストいっぱいに風を受けて出航する。元“福州号”の船主だった何素如はこの時すでに“国姓爺”の船尾の舵取りの位置に着き、片手でしっかりと舵を取り、もう一方の手で別れの挨拶をしている。
  “国姓爺”は舵が繰り出す水しぶきで海面に長く白い波の帯を残しつつ進み行く……

(十四)

  北京の紫禁城、清朝の皇宮の裏庭。
  十八歳の順治皇帝が董鄂妃と水遊びをしている。董鄂妃は今正に皇帝の寵愛を受け、何の気兼ねもなく、ひたすら水をかけながら皇帝を追いかける。二人は楽しさの絶頂で、隠れたり追いかけたりの陽気な笑い声が静かな後宮にことさら明るく響く。
  笑い声が近くの亭にまで届き、ちょうどそこで本を読んでいた孝荘文皇后を驚かす。孝荘文皇后は目を怒らせて周りを見回し、すぐに立ち上がる……。
  順治皇帝は笑い声の中を走り、亭に飛び込んで来て孝荘文皇后とぶつかってしまう。
  孝荘文皇后は不快の色を表し、“帝は如何なさいましたか?”と尋ねる。順治が息を切らせ、腰をかがめて笑いながら“追っ手が迫っています、母上助けてください!”と答えると、孝荘文皇后は怒りを抑えきれず“いずこのうつけ者が帝を追いかけているのですか?”と言う。
  順治は笑いながら“母上……母上様、怒らないでください。後ろから……董鄂妃が……董鄂妃ったら可愛くって!”
  孝荘文皇后はたちまち怒りを追いかけて来た董鄂妃に向けた。ひとしきり叱責し“天も法もわきまえず、礼儀も何も知らない!誰かおらぬか! このような者は冷宮がふさわしい……”
  董鄂妃はひどく恐れ、順治皇帝は弁護しようにも言葉が出ない。
  宦官たちがやって来て董鄂妃を小突きながら行ってしまう。順治皇帝は皇帝の威厳もかなぐり捨てて母の前に跪いて許しを請う。
  孝荘文皇后の怒りは静まらず、そんな順治を横目で見るも、終に一言もなかった。

(十五)

  一六五四年六月中旬。東海(東シナ海)は風が吹き、波がわきおこる。
  “国姓爺”は強風と高波の中、激しく揺れている。
  船に乗っている人の多くが船酔いして嘔吐し、非常に苦しんでいる。
  隠元は船が激しく揺れる中、素早く“薬”の字が記された箱を開け、弟子独立性易が中から取り出した丸薬を受け取り、禅杖で安定を保ちながら大またで歩き、船酔いで嘔吐している者たち一人一人の口元に薬を持って行き、呑ませてやり、その背中をこぶしで叩く。
  舵手の何素如は顔に波をかぶりながらも、必死で舵を握る。力持ちの弟子木庵性瑫と鄭彪も急いで駆けつけ、両手を差し出して少しでも安定させようと舵取りを手助けする。
  隠元禅師は船室に入って座り、弟子大眉の手からあの亀を入れたかごを受け取り、膝の前に置き、目を閉じて心を静めている。かごの中の亀は明らかに大きく成長している。亀はじっと隠元の顔を見て動かず、やや奇妙な様子。遠くから《亀の歌》が聞こえる――
  大きくなった私の小亀
  もう何年も一緒だね
  皆はお前が黙っていて何も考えていないというが
  お前の心には思いがいっぱい詰まっている
  ずっと離れずこんなに愛着が湧くのはなぜ?
  固い甲羅の内に暖かい心を秘めているから
  年月と風雪で少年だった私も白髪に
  そうさ、私とお前は永遠に一緒だよ!

  狂ったような暴風が高波と共に襲って来た。弟子独立性易が慌てて船室にやって来て海上の危険を報告する。隠元はその声を聞いて目を挙げて周囲を見回す。突然両目を大きく見開いて、かごの中の亀をじっと見つめ、亀が頭と尾を振り、緑に光るのを見るや何かを悟ったかのように叫ぶ。“二人の弟子よ、筆と墨を用意しなさい!”
  船は揺れ続けていたが、大眉はしっかりと立ち、膝を曲げて“字”と書かれた箱を開け、筆と墨を取り出して師匠に渡し、進み出て片膝をつき、一枚の紙を膝の上に敷いた。
  隠元は亀の竹かごを大眉に渡し、筆を揮って“免潮”の二文字を書き、何か唱えながら、紙を丸め、香で焼きすぐにその灰を大海原に投げ込んだ。船上の全ての人たちが力を合わせ、奮闘して水漏れを塞ぎ水を汲み出したりして、態勢を立て直した。
  するとたちまち、風が止み波が穏やかになり、魚たちも普段のように泳ぎ始めた。船中が歓声に包まれ、喜びに満ちた。弟子たちは合掌して慰め合い、“お師匠様は生き仏のようで、真に素晴らしい!” “あの‘免潮’と言う二文字が、海を支配する竜王をも譲らせるとは!”と心から褒め称えた。
  隠元は弟子大眉の手からかごを受け取ると、亀を出してそっとなでながら“竜王が道を譲ってくれたのはお前が教えてくれたおかげだよ”と言い、振り向いて亀を目の前に掲げて感慨深げに“私とお前は数十年も一緒に、雨の日も風の日も同じ船で旅を続けてきた。深い契りで結ばれている!”と言う。
  弟子たちはそれを解釈して“数十年はまるで一日のようです。お師匠様の恩の深さは、誰もが感じ入っています。”
  隠元が手を振って控えめな口調で“報いを求めず恩情を施せば、天下に平安がもたらされる。この先道は長い。皆さんよく気をつけてください!”と言うと、皆頷いて応え、各自の持ち場に戻った。

  風が和らぎ空も晴れた。船足も安定した。突然“国姓爺号”の東側の海上に黒い怪しげな三艘の船が現れ、一斉に取り囲むように攻めて来た。
  先頭の黒い船の舳先に、色黒の大男が股を広げて立ち、指の欠けた黒い手を高く掲げて北方訛りの中国語で大声をあげる。“同胞諸君、我々はただこの乱世に行き場を失っただけだ。どうか寛容な心で、金子の袋を投げてよこしてくれ、そうすればお互いそれぞれの道に進める!”
  舵取りの何素如は大声で応える。“今は昔とは違う。黒い親分さんよ、諦めなさい!”
  黒い親分、引き下がるわけもなく“者ども! やはりこっちから仕掛けるぞ、かかれ!”
  言うが早いか、海賊どもは“国姓爺号”に向けて鉄の鈎がついたロープを次々と投げかけ、船べりをしっかり捉えると、猿のようによじ登って来た。
  ところが思いがけないことに、船には上半身裸になった屈強な僧侶たちがとっくに整列していたのだ。海賊の頭が見えるや、軽々と鈎をはずし、登って来る海賊を鈎ごと海に投げ込んだ。慌てた叫び声と水音が聞こえる。
  戦いを指揮監督する黒い親分は面食らって、ヒステリックに声を張り上げ、手下らにまた登れとけしかける。
  このとき、隠元禅師が早足で帆柱に向かった。その後ろにぴったりとつき従う鄭彪は“礼盒”を捧げ持っている。この箱は鄭成功大将軍が港で見送ったとき贈ったものだった。鄭彪は禅師が頷くのを見て、箱から畳んだ錦織を素早く取り出すと、するすると帆柱を登り、柱を両足でしっかり挟むと、手を伸ばして錦織を開き、“鄭” ”の文字が織り込まれた旗を広げた。威厳溢れる錦の軍旗は海風に吹かれてひゅうひゅうと音を立ててはためいた。
  色黒の大男は“鄭”の大きな軍旗を見定めると、顔色を変え、一言もなく、水に落ちた手下を呼び戻し、大急ぎで方向転換した。
  “国姓爺号”の帆柱の下では皆が隠元を囲み、口々に“禅師様はまたもや我らをお救いくださった。正に神のように全てお見通しだ!”と賞賛した。
  隠元は鄭彪が帆柱を滑り降りてくるとその頑丈な肩をたたき、鄭が手に持った軍機を指して言った。“阿弥陀仏、私が全て見通したのではない。長年海上で戦われていたかの鄭成功将軍がこのために備えてくださっていたのだ。そのうえ鄭彪を伴に遣わしてくださった。実に的を得たご手配だ。”と言う。
  ラッパの音が響き、船は再び順風満帆で進む。

(十六)

  北京の紫禁城、ひっそり静まり返った裏庭。
  順治皇帝が西洋人画家湯若望(アダム・シャール)を連れてこっそりと冷宮の奥へと入って行き、ひとつの格子窓の向こうにやっと董鄂妃が軟禁されている部屋を見つけた。
  看守の下級宦官は皇帝のお出ましとあっては、いやおうなしに冷宮の鍵を開けた。順治帝は走って入って行き、驚き喜ぶ董鄂妃を抱きしめる。二人は声を殺して泣く。
  順治は絹のハンカチを取り出して董鄂妃の涙を拭い、古い椅子を見つけて董鄂妃を支えて座らせると振り返って湯若望に早く肖像を描くよう促す。
  湯若望は描きながら、つぶやく。“殿下、空想で自らを慰めても一時しのぎに過ぎません。早く天主教(カトリック)に入信されれば、皇太后に博愛を至上と説得することもできましょうに!”
  順治帝は躊躇する。“外国の宗教への入信は一大事。よく考えさせておくれ……”
  董鄂妃は不安げに“お考えが決まるころには、私の命も……”
  順治帝は慌てて口をふさぎ、“ああ、愛しい董鄂妃、縁起でもないことを言わないでおくれ……”

(十七)

  一六五四年七月五日朝八時頃。“国姓爺”は疲労困憊状態でようやく日本の長崎埠頭にたどり着いた。
  船は長い航海で風雨と荒波に晒され、傷だらけではあったが、船室から出て来たのは元気いっぱいな隠元禅師であり、きちんとした身なりに、しっかりとした足取り、禅杖は相変わらずこつこつと音を立てている。
  随行の弟子たちも、身なりはぼろぼろだが、それぞれ勇ましい姿である。航海中の過酷な奮闘経験が、仏法伝授の使命を帯びた僧侶たちに精彩を増し加えたのだ。
  歓迎しに集まった役人、僧侶、農民、商人たちが岸いっぱいに立っている……。太鼓やラッパが響き、伝統的な日本の踊りや歌で地元の人々が心から歓迎を表す。
  長崎“興福寺”の華人住職逸然禅師が数名の優れた弟子を従えて人だかりの中から歩み出て、仏教の作法で隠元一行に挨拶する。
  逸然は隠元に深々と礼をし、真摯な態度で謝意を述べた。“禅師殿には、艱難辛苦を乗り越え、はるばるご光臨くださり、日本は帝から庶民に至るまで皆大喜びでございます!”。それに続けて傍に控えている役人を紹介して“この方は地方長官で、幕府の特命でお迎えに来られたのです!”と言い、地方長官に向き直って日本語でその言葉を繰り返した。
  長崎の地方長官はすぐさま進み出て恭しく礼をして、“禅師殿にお目にかかれて光栄至極です。小職は幕府の命を受けて参りました。また、徳川将軍の親書を携えて参りましたのでお渡しいたします!”と挨拶を述べ、従者が片膝を地に着けて捧げ持った金をちりばめた漆器の盆から手紙を取り上げると隠元禅師に手渡した。逸然住職は傍らで通訳する。
  隠元禅師は禅杖を抱え、両手を合わせると手紙を受け取り、開いて読み、喜びの表情を浮かべる。

  訪れる側も迎える側も互いに家族の様な親近感に結ばれ、音楽の中列を成して“興福寺”に向かう……ただ後ろのほうにいた数人の西洋人商人はひそひそと囁き合い、軽蔑の表情を浮かべている。

  一六五四年七月十八日、真っ赤な太陽が高々と照らす。
  “興福寺”の本堂の外、三層の石段ごとに広く設けられた三つの平台は、早くから数百名の聴衆に埋め尽くされている。僧侶や信徒たちはそれぞれ異なる装束に身を包み、いくつかの四角い陣を組んで整列し、本堂の正門を見上げている。
  隠元禅師は袈裟をまとって、しっかりとした足取りで本堂から出て来る。その後ろには大眉性善、独立性易、木庵性瑫がぴったりと付き従っている。
  逸然が主催者として挨拶を述べる。流暢な日本語で心をこめて。“吉日の本日、終に天下の名僧隠元隆琦禅師をお迎えできました。これは興福寺の幸いであり、長崎の幸いであり、日本の幸いです!
  これからは 講話の場を設け、禅師の教えを聴くことができます。多くの難題が解き明かされ、廃れていたものも復興することでしょう! ”(演説には中国語の字幕がつく)
  熱心な船主何素如は隠元のそばに立ち、汗を拭いながらその意味を伝えていたが、逸然の言葉が終わりに近づくと、隠元の袖を引っ張って“禅師様、あなたの番ですよ!”と促した。
  隠元は大きな声で唱える“阿弥陀仏! 仏の光があまた照り渡り、天下の幸いが成就しますように……”
  会場の聴衆が正に喜びに沸き、ありがたさに恐れ入っているとき、一人の大柄な西洋の商人が突然後ろのほうから石の欄干に跳び上がって来て西洋訛りの日本語で隠元を邪魔した。“皆さん!この者のでたらめを聞いてはなりません。この世は全て神の賜物。東洋も西洋も同じ家族です。通商を公平に行えば、互いに友情で結ばれます。新しい道を歩んでこそ王道楽土が得られます。いつまでも古い教えに従っていては永遠に苦しむだけです!”はじめから、聴衆に紛れ込んでいた西洋商人たちも次々と野次を飛ばし、この時とばかりにかき乱したので、にわかに耐え難い騒がしさとなった。住職逸然は急いで前のほうに駆けて行き、大きな声で静かにするよう説得した。“言いたいことがあれば言いなさい。仏は常に道理を説いておられるのだから……”
  混乱の中、西洋の商人たちは手分けして群衆の中に入っていき、言葉巧みに多くの聴衆を解散させた。興福寺の喧騒は次第に静まり、会場には寺の僧侶たちだけが残り、散乱したごみを片付けている。
  講壇の傍らでは、気まずい面持ちの逸然が、隠元一行に深く詫びている。“皆様、どうかお許しください! まったく予期せぬことで!”
  木庵は“悪いのはあの西洋の商人たちです!”と言う。
  大眉は“彼らがこんなに焦っているのは、我々が通商の道を断って、彼らの生活を脅かすとでも思ったのだろうか?”と言う。
  逸然は“確かに!長崎が開港してからというもの、西洋人がやって来て一気に深く入り込み、思うままに振舞っています。最近江戸幕府が禁令を出し、日本の伝統を守ろうと動き出したのです。今回の催しも、仏教の振興を促すものですから、西洋人が慌てるのも無理はありません!”
  隠元は禅杖で地を一突きして、“そうであったか、拙僧、心得たぞ!”と言うや、懐から徳川将軍直筆の手紙を取り出し、逸然に渡して続けて言った。“徳川将軍の深いお心使いを受けました。徳川大将軍様には先見の明がおありだったのでしょう。私たちも本日その意味を悟ることができたのですから、まだ遅くはありません。”
  逸然は手紙を受け取って読む。“その通り、大将軍は、‘昨今の情勢を見るに、仏教は日々衰退し、民はよりどころを見失って、急ぎ手を打つ必要があります。禅師様には 講壇を設けて 正しい教えで人々を導いていただきたい。’とおっしゃっている。ああ、大将軍の言葉で霧が晴れました。将軍様は禅師様の真価をわきまえておられた。禅師様は大任を担われた! ”
  隠元禅師は逸然から手紙を受け取ると、高く掲げて言う。“拙僧ご命令を承りました。仏法を世界に広め、仏様のご恩に報い、世を大いなる愛で満たします! ”

  一同は感極まって、あたりは阿弥陀仏の声に満たされた。

(十八)

  北京紫禁城、ひっそりと暗い冷宮。
  董鄂妃の肖像は本物そっくりだが、額は白い紗に囲まれている。
  数名の僧侶が宦官たちの監視の中、死者を弔い済度する儀式が執り行われる。順治帝は喪服に身を包み、呆然と立ちすくんでいる。
  老僧が数珠を繰りながら帝の傍に来て優しく慰める。“陛下、お気を落とされませんように。来るも縁、去り行くも縁と申します。”
  順治帝:“それならば、私には行くところがない。もう、生きたくもない……”
  老和尚:“いいえ、陛下には行くべきところがあります!”
  順治帝はため息をつく。:“退屈で仕方がない、どこへ行けと言うのだ?”
  老和尚は声を潜めて言う。:“覚えておられますか? 六根が静まり憂いのなきところ!一つ解決すれば全て解決するというところを?”
  順治帝:“おお――出家か? 分かりました。しかし、世界は広い、どこへ出家すればよいのか?”
  老僧は指を折って占い、“東南の方向に光が見えます。 そこに隠元がおられます。隠元が極めた奥義は、皆陛下のものです。”
  順治帝は即座に問う。“隠元? あの求めれば必ず応えてくださると、世に知れ渡る隠元禅師ですか?”
  老和尚:“陛下のご推察のとおりです。機会を逃してはなりませんが、聞くところによれば、隠元禅師は仏法の普及のため遠方へお出かけとのこと。”
  順治帝は深々とため息をつき、感情を抑えきれずに言う。“あなた様のおかげで目が覚めました。天命を受け入れれば道は自ずと開けるものなのですね。私は早速詔勅を下し、隠元殿を呼び戻さなければ!”
  順治帝の供についていた宦官がこれを聞いて驚くが、そ知らぬふりをして、機を見て退く。

  後宮の奥の建物。位の高い宦官が一人の格下の宦官を伴って孝荘文皇后に報告する。“恐れながら皇太后様に申し上げます。順治皇帝さまはご出家をお考えです。詔勅を下し、南方の高名な僧侶隠元禅師を探しておられます……”
  孝荘文皇后は慌てて、“なんと、陛下が出家? それは一大事!
  本を断って抑えなければ、すぐに人を遣って隠元を捕らえなさい!”
  “仰せのとおりに!” 位の高い宦官が応え、格下の宦官を引っ張って去る。

  風の強い夜更け。都の郊外の大路を大仏寺の老僧が時折後ろを振りかえりながら馬を駆って猛進している。この老僧はあの冷宮で、亡霊を済度した僧侶だ。老僧は右前方の小さな林に差し掛かると、手綱を引いて馬を下り、林に分け入り、こっそり身を隠す。
  しばらくして、馬の足音といななきが聞こえ、大路に土煙が立つ。清の宮廷の兵士が数名俊足の馬を駆って通り過ぎる。

  大きく高い大仏寺の門の外、老僧と修行僧の扮装をした朱虎が別れの挨拶をしている。
  老僧:“もはや北方は清の天下、明朝復興の道は遠い。”
  朱虎:“私は和尚様に命がけで救っていただいた恩を忘れません。今回南明に向かうのも、情勢をよく見極めて判断しなければなりません。”
  老僧:“先々を見通すに、ただ鄭成功に望みを託すのみでしょう。また、あの隠元禅師については良い噂が伝わっています。このたび日本へ仏法を伝えわが国の威光を高めたと。将軍ももし縁あれば共に困難を乗り越えられるかも知れません。”
  朱虎は頷いて“お言葉しかと胸に刻みました。これにて失礼する!”

(十九)

  日本の九州、長崎から程近い平戸地区。
  こざっぱりしたレンガ造りの大邸宅。大きな門には“鄭氏”と刻まれた表札が掛かっている。
  鄭彪が尋ねてきて、鄭家の家来の取次ぎで屋敷の奥に招きいれられた。

  応接間には中国式の紫檀の家具が一式。八仙桌という正方形の机の上方には鄭成功の父鄭芝龍の遺影が掛かっている。
  鄭成功の母はきちんとした居住まいで、和服を優雅に着こなし、部屋の雰囲気に調和している。運んできた茶器をテーブルに置き、鄭彪と向き合って座り、お茶を入れて語り合う姿は親子のように親しげだ。
  鄭彪は懐から鄭大将軍の手紙を取り出して両手で鄭成功の母に差し出す。
  鄭成功の母は封を切って息子の手紙を読み終えると、長々とため息をつき、物寂しい表情を浮かべた。立ち上がって部屋の中を行ったり来たりしたかと思うと、墨と硯を取り、素早く手紙をしたため、鄭彪に手渡しながら言う。:“鄭彪、成功の任務は重大、ことは急を要します。ご苦労ですがすぐに京都へ行き 幕府の重鎮宮本様にお会いしてこの手紙を届けてください。”
  鄭彪は頷くと、手紙を用心深く懐に収め、立ち上がって別れを告げる。

(二十)

  京都城内。馬車や人の往来が絶えない。
  鄭彪は馬を牽いてゆっくり歩きながら訪問先を探している。

  城中の静かな場所に、大きな門があり、両端に“宮本”の提灯が掛かっている。刀を帯びた門番の侍が立っていて、非常に威嚇的だ。
  鄭彪は無礼が無いように気をつけて手紙を捧げ持って門番に渡す。

  手紙は将軍の側近宮本の手で開かれ、大広間に姿勢正しく座った宮本は黙って手紙を読んでいる。かすかに眉をひそめて……
  鄭彪は傍らに両手を垂れて立つ。時々宮本の表情を窺って、思わず額に汗がにじむ。
  宮本は手紙をしまうと、良いとも悪いとも言わず、“鄭家の使者殿、道中お疲れであろう。しばらくご休息を、将軍のご判断を仰ぐゆえ。”と言う。
  鄭彪は慌てて跪いて礼を述べる。“どうか徳川将軍のお慈悲を賜りますように! わが国は存亡の危機にあり、一刻の猶予もありません。どうか速やかに援軍を賜りたく……”
  宮本はいささかうるさそうに“分かった、分かった、少し静かに!”と嗜める。

  徳川家綱の屋敷。壮大で威厳に満ちている。十八歳の四代将軍家綱は若く意気軒昂で英気に満ちている。今正に手にした一通の手紙を注意深く読んでいる。
  側近宮本が将軍徳川家綱に報告している。手紙を指して困ったように“明王朝の運勢がこのような時に、軽率に出兵すれば、弱きについて強きに立ち向かうことになり、思わぬ痛手を被ることになりかねません!”
  将軍家綱はしばらく考えると、頷きながら“いかにも。我が国は長らく太平を保ってきた。何事も熟慮が必要だ。鄭成功が東海(東シナ海)の航路を護ってくれて、わが国の貿易船が安全に行き来できるのが理想なのだが……”とつぶやき、鄭成功の母の手紙を右手左手と持ち替えながら、行ったり来たりする。
  “申し上げます!”一人の侍が将軍の屋敷の大広間へ報告に来る。
  侍は片膝をついて報告する。“将軍様、明の禅師隠元の一行三十余名が、長崎で仏法を伝道を始めて以来、仏教会は沸き立ち、西洋人を刺激したので、騒乱を招いています。”
  家綱が“もっと詳しく調べてすぐに報告せよ!”と命じると、侍は下がる。宮本は直ちに家綱に進言する。“まさに、火のないところに煙は出ない。かの隠元とやら只者ではなさそうです……”
  家綱:“宮本殿、心配なさるな!隠元禅師が仏法を説いて、仏教”が復興すれば、政教合一して、国家にとっても民にとっても利益になる。協力を仰ぐことができれば、幕府にとっても天の助けではないか?”
  宮本は頷いて:“将軍の思慮深いご判断、敬服いたします。
  ここはよく情勢を見極めましょう!”

(二十一)

  長崎興福寺。人波が揺れ動き、あちこちに線香の煙が立ち上り、非常な賑わいである。
  住職の逸然は再び不測の事態が起こることを恐れ、警戒の表情を浮かべ、弟子たちを指図して準備に忙しい。
  今日、説法の会を開くとの看板を掲げたので、それを聞こうと信徒が続々と寺に押し寄せた。本堂の外はもう足の踏み場も無い。人々はだんだん混雑に耐え切れなくなり、言い合いが始まり、入り口ではそれが高じて騒動になって……派閥の対立が現れていた。
  遠くから刀を帯びた幕府の侍が、黙ってあたりを伺っている。

  隠元は落ち着き払って講壇に上がり、合掌して頷き、会衆に向かって深々と礼をし、顔を上げると大きな声で“拙僧不才ながらしばし皆様のお耳をお借りします。私がここでお伝えする仏法は、全ての宗派を包括するものです。心を合わせて同じ方向へ進めば、行き着くところは同じです。心を合わせて助け合えば、難業も成就します。”逸然が心をこめて通訳する。
  聴衆は心と静まり返って、禅師の言葉の深意を味わっている。
  ある者が突然質問した。:“同心(心を合わせる)、同心と世間でも良く言われるが、同心とは何ですか?”
  隠元は平然として答える。:“俗世間の功徳も悟りの世界の功徳も共に励み、自己の喜びと他者の喜びを共に喜ぶことです。東方の儒家思想にも通じます。”
  するとまた問い質す者がある:“儒家の思想を仏教に当てはめるのですか?”
  隠元は少しも迷わず答える。:“儒家も仏教も同源です。その源は天下を覆う大きな愛です!”
  “儒家も仏教も同源です。その源は天下を覆う大きな愛です!”逸然は大きな声でその意味を伝えた後、更に続けて“天下を大いなる愛が包めば、万物は輝く!”と説いた。
  人々は思わず知らず心の声を口にした。“阿弥陀仏!天下を覆う大いなる愛!”鐘の音が長く鳴り響いた。逸然はこの機に隠元の手を引いて講壇を降りた。
  すると思いがけず、聴衆はまたしても二つの派閥を意識し始めそれぞれ主張しあって譲らず激しく言い争い始めた……

  隠元は弟子たちに護られて、寺院内にある自分の禅房に帰って来た。
  逸然はずっと付き添って来て、しきりに謝っている。
  このとき数名の侍がやって来て、頭と思しき一人は逸然と顔見知りらしく、幕府から将軍に派遣されて来たことが分かった。侍は隠元禅師に、しばらくこの不穏な土地を離れるよう勧めた。
  隠元もこの様子を見て、長い目で対処すべきと心得たので、数名の弟子を指名して侍たちと共に興福寺を後にした。この時にはすでに夜の闇がそっと降りてきていた……

(二十二)

  夜。九州にある幕府の宿舎、豪華な門内の庭が、高い壁に囲まれている。
  隠元禅師と側近の三弟子は将軍に“招かれて”宿舎の裏庭の客間にやって来た。臨時に見張りを配置して、衛兵たちがしょっちゅう行き来している。大眉はその様子を見て師匠にささやいた。:“お師匠様、ご覧ください。保護という名目ですが、事のところは軟禁ですよ!”独立も抑えきれず言った。:“お師匠様、どうしたらよいのでしょう?”木庵は焦って本音を言った。:“こうなったらいっそ飛び出して行って、真相を訴えましょう!”

  裏庭の高い壁は隠元らを外界から隔離し、周囲はとても静かだった。時折夜回りの拍子木の音が聞こえる。
  隠元は禅杖を手で弄びながら笑って言う。:“はは、はっきり言うのもいいがここはぼんやりするが上策。実はぼんやりすることもなかなか得難いものだから! それにこの静かな環境をいかして、写経に励み、仏法伝授に備えたら良いではないか?”弟子たちは互いに顔を見合わせると、にわかに悟って“そうだ、そうだ。ぼんやりするのも得難いこと――”と言いながら、携えて来た行李から経典の巻物を取り出して、写経に専念し始めた。

  高い壁の外側では、怪しい人影がうごめいていた。黒装束の人物が宿舎の周辺に頻繁に出没していた。
  順治皇帝が出家を望み、派遣した密偵が隠元禅師を探していた。
  一方孝荘文皇后は、皇室のスキャンダルを隠そうと派遣した刺客は冷酷にも老僧隠元を亡き者にと狙っていた。
  また西洋の商人たちも交易への影響に甘んじるべくも無く、隠元を逃がすまいと暗躍していた。
  そこで、高い壁の外は真夜中でも油断できない。黒装束の曲者は昼も夜も争い、生きるか死ぬか、互いに譲らない。

  高い壁の内側では写経が続けられ、清らかで静かであった。
  ろうそくの眩い明かりに照らされて、使徒四人の筆による端正な楷書で書かれた経文が輝いている。
  隠元は何かを悟るとあの未完成の画仙紙の草稿を取り出し、広げて少し考えると濃い墨を含ませた筆で、先に書いてあった“孤旌”の二文字の下に“独輝”という二文字を書いた……文机の傍らにおいてあった亀のかごのふたが知らないうちに開いており、亀が悠々とかごの外に出てきて首をもたげてろうそくの明かりをじっと見ている。隠元はそれを見てにっこり笑い、亀に声を掛ける。“お前も来たのか。真、物事は単独では存在しないのだな。お互いに引き立て合っている。拙僧は既に“孤旌”と書いたが“独輝”が許されるだろうか? ね?” 弟子の大眉は師匠が亀に話しかけるのを見て笑いをこらえきれずに、近づいて言う。“お師匠様この書は何時出来上がるのですか?”隠元は亀を竹かごに戻しながら答えた。“全ての物は育つまでにはその時を待たねばならない。瓜が熟して地に落ちるのも、天の摂理に沿っているのだ。”

  突然、外から警鐘の音が伝わり、“曲者、出会え!”との叫び声が聞こえたので、隠元もしばし筆を収め、明かりを消した。
  黒装束の曲者が高い壁を乗り越えて、隠元の居室に突進して来た。漲る殺気の中、弟子木庵が曲者と決死の格闘を繰り広げた。
  警備中の侍たちが物音を聞きつけて駆けつけ、力を合わせて黒装束の曲者を捕らえ、覆面を剥いで見ると、金髪の西洋商人だった…。

(二十三)

  江戸幕府。 大将軍の屋敷。徳川家の家紋の特撮映像。
  将軍の陣営。家綱は鎧に身を包み、威風堂々と陣中に座している。両側には太刀を帯びた侍が並ぶ。
  大阪城の宿舎を襲った黒装束の曲者が陣中に引っ立てられて来た。
  家綱自ら尋問に当たる。先ず、金髪の黒装束に:“当初長崎の港を開いたのは、世界諸国との友好往来のため。それなのにそなたはなぜ夜宿舎に闖入し、人を殺めようとしたのか?”
  金髪の西洋人商人は答えて:“違います、違います! あのシナの僧侶は、後から来たくせに私の縄張りを脅かし、私の生計を奪ったから、私は自衛策をとらざるを得なかったのです。どうしようもなかったのです!”
  家綱は向き直ってもう一人の黄色人種の黒装束を指し、:“では、
  そなたはどうなのだ? そなたは西洋人商人ではないが、何者だ? ”
  黄色人種の黒装束は純然たる日本語で:“高邁なご見識の大将軍様、私は地元の僧侶です!”
  家綱は眉をひそめて、大きな声で詰問する。:“そなたは地元の僧侶でありながら、なぜお上に逆らうのか?”
  地元の僧侶はうなだれて:“大将軍様、どうかお怒りをお静めください! 仏は仏の決まりがあります。理由がなくても、命令には従わなければならず それを犯したら大変なことになるのです。”
  家綱はふと訝しく思い、体を起こして前に進み出、穏やかな表情で尋ねる。:“おお、ではそなたは誰の命令に従い、何をしたのか?”
  地元の僧侶は勢いに乗って極めて従順にこそこそと話した。聞いた家綱は、はははと大笑いした。ちょうどその時、老臣宮本が入ってきて、この様子を見て笑う。“大将軍がこんなにもご機嫌とは得難いですな!”
  家綱はまだ笑いながら、宮本に手招きして、:“さあ、さあ、ここへ来てこの者に聞けば分かる。”
  宮本は急いで、:“おうそうだ、先ほど宿舎から報告があり、隠元禅師がお目どおりを請うているとのこと。”
  家綱は面白そうに、:“それはそれは、長旅を厭わぬとは大したものだ。禅師殿がはるばるおでましとは。某が宿舎に参ってお目にかかろうと思っていたのに!”

  江戸幕府の宿舎は大阪より豪華である。男女の使用人が礼儀正しく行き来し、忙しいながらも穏やかな雰囲気である。
  家綱は宮本など側近を連れて隠元を訪ねた。互いに恭しく挨拶を交し合う様子は、厳かだ。
  隠元禅師は弟子たちと共に、高々と経典を吟じ、将軍が災難から救って、苦境から解放してくれたことに感謝した。幕府の通訳が間で忙しく懸命に意思伝達を行う。
  家綱と隠元は互いに敬意を表し、“ご高名はかねがね聞き知っておりましたが、こんなところでお目にかかれるとは!”
  二人がすぐ意思疎通を果たしていて、通訳の必要がないのを見て通訳者は一瞬ぼんやりしてしまった。
  二人はすぐに心が通じるとばかりに笑って、:“忘年の交わりですね! は、は、――”

  侍たちは黒装束の男を隠元禅師の前に連れて来て、家綱がその罪状をかいつまんで説明した。通訳は更に気を入れて訳した。
  隠元は合掌して感慨深げに言う。“罪深いことだ! そなたたちはこんなにも人を許すことができないのか。拙僧に寛容に受け入れてもらえる場所がある……”
(字幕)一六五九年、隠元禅師は幕僚として京都に留まり、天皇から10万坪の土地を賜り、黄檗山万福寺の建造に着手する。

(二十四)

  大阪府“普門寺”。
  隠元の盛大な説法の会が寺院で催されようとしている。
  高い講壇が築かれ、匠たちが忙しく働き、材料や品物を運ぶ人たちが頻繁に行き交っている。四方に仏教の旗や幟が飾られ、僧侶と信徒が慌しい雰囲気の中を行き来している。“芸”と書かれた大きな行李は既に開かれ、工具や道具が人々の手によって受け渡されている。
  講壇の右側のにわか仕立ての竹造りの小屋では、一幅また一幅と観音像の絵が掛けられ、隠元禅師と弟子の大眉が高いところに上って作業する若い僧たちを熱心に指導している……。
  講壇の左側の地面に敷かれた石板の上では、一体また一体と如来の彫刻が刻まれていく。范道生は専門家の眼差しと仕草で石工たちの大変な作業を指導し援助している……。
  隠元禅師はにわか造りの竹の画廊から石彫りの現場までやって来ると、范道生と挨拶を交わし、微笑み合う。説法の会の準備の全てに満足している様子。

  梵鐘が鳴り、普門寺の周りの豊かな平野にこだまする。
  あぜ道といわず細道といわず道という道に整然と長い列を成して、僧侶や信徒が各地から説法を聞きにやって来た。彼らが手にしている旗印には日本各地の名刹の名前が記されている。遠く望めば、有徳の士を求め、福を求める人々の熱気と勢いは荘厳な様相を呈している。

  来賓が次々と壇に上がった。最高の賓客将軍徳川家綱は側近を従えて、講壇の傍で合掌し迎える隠元禅師のほうに大またで歩み寄った。礼を尽くした挨拶が終わり、来賓たちが席に着いた。
  隠元は講話を始める前に、先ず家綱に対して礼をし、身を転じて講壇を降りて、たくさんの仏像向かって歩み、木彫の如来増の前へ来ると何かぶつぶつとしばらく念じた。
  人々は真剣に聞き入って、場内は沈黙した。
  隠元は数千人の聴衆に向かって、仏の教えを朗々と語った。“日が東方に出ずれば、万物は光を生ず。御仏が天におわせば、恩寵は果てしない。黄檗宗は明より伝来し、徳川幕府のご厚情を賜り、ここに万福の根を下ろし、扶桑(日本)の大地に信仰の種をまく…… ご覧ください(ずらりと並んだ木彫の如来像を指す)、天の恵みで、彫像にも霊験が宿ります。家綱将軍様のおかげで、各地の名刹から皆様をお招きし、黄檗の仏像をお持ち帰りいただき、仏の光で日本を照らすことができます。そして本日を拙僧の特別な説法の会、また明国黄檗山万福寺の来日を記念する儀式とすることができました。これは天下の大義であり、人の世の大いなる愛であります!”
  徳川大将軍はこの説法を目の当たりにして、たいそう心を打たれ、“素晴らしい!禅師様の特別な説法を聞いて、皆が新しく目を開かれた思いだ、仏の御光が、この国をあまねく照らすように!”
  数千人の聴衆がこれを聞いて歓喜し、阿弥陀仏の声が高潮のように響いた。梵鐘がまたひとたび打たれて寺院の上空にこだまして、山林へと伝わった……

(二十五)

  京都近郊の宇治山地、雲が立ち霞がたなびく神秘的な美しい景色。
  山の坂道を隠元禅師と徳川家綱が並んで歩いている。
  将軍が心から:“今日は通訳がいませんから、なんでも遠慮なくお話ししましょう!”
  隠元はその心遣いを受けて、:“将軍のご好意ありがとうございます。拙僧も同感です。”
  家綱は感心して、:“このように意気投合するのも、隠元禅師がもう言葉の壁をなくすほど日本語がお出来になるからです。その進歩の速さには敬服いたします!”足元に上りの石段が現れたのを見て、登りはじめる。
  隠元はあわてて謙遜し、:“恐れ入ります! 古より英雄は少年より出ずると申します。将軍こそ当代の英傑。現にこの山登りでは、拙僧は遥かに後れを取っていますから!”
  家綱は笑って:“何をおっしゃいますか。顔も高潮しなければ、息も上がっておられない。禅師殿はまだまだお元気です!”と言い終わらぬうち、足元の石段がたいそう高いのを見るや、すぐに手を差し伸べた。隠元はその意を解してにこやかに禅杖を持ち上げて先端を家綱が差し伸べた大きな手に渡して、その力を借りて高い石段を登った。
  隠元は言葉に二つの意味を込めて、“将軍のお力添えをいただきましたこと、拙僧、終身忘れませぬぞ!”
  家綱は真摯に答えて、“隠元禅師こそ、手ずから禅杖を差し出してくださり、まさにお互いの力が合わさって良き結果となったのでございます。”
  二人は語り合いながら山頂まで登り、四方を見回し、伸び伸びと心を開きあった。
  家綱は賞賛して、:“ここは天皇が賜った土地。やはり他とは違いますね!”
  隠元は数珠を指でよりながら心の底の思いを打ち明ける。:“拙僧、将軍様のご期待に報いて仰せの通り寺を建て、来春には開眼供養をいたします。”そう話すうち、隠元の目に涙が光り、声も震えた。“この願いが成就したら、どうか、将軍様の恩賜により拙僧を明に帰らせてください……”
  将軍は一瞬訳が分からず、“ああ、禅師殿はどうして暇を請うのですか?”
  隠元は率直に答える。:“何を隠そう、当時出立するとき、拙僧三年を限りに戻るとの約束で参ったのです。ところがもう五年が過ぎてしまいました。拙僧、約束は必ず守ると誓っております。帰りたいとの思いは変わりません!ああ!”
  将軍は感じ入って一瞬黙ってしまう。 遠くを見つめていたかと思うと、天を仰いでため息をつき、:“ああ――禅師はやはりすごいお方だ!信用を重んじる人はいつも心の中で約束を果たし、志のある人はどこにいてもでも業を行うのですね。私が天皇に奏上し、天皇の父君後水尾法皇にもお伝えし、きっと禅師殿に満足し喜んでいただきます!”
  隠元はこのとき心が深く慰められ、:“将軍のお心遣いを賜りありがとうございます。どうか天を覆う大いなる愛が永遠に続きますように!”
  話をしていると、山のふもとから兵士らが“種”と記された行李を担ぎ上げて来た。隠元は行李を開けて一袋の種を取り出した。好奇のまなざしを向ける家綱に、:“これはわが国の四季豆角(ささげ豆)です。長く保存しても味が変りません。どうかこの地に蒔いて、代々美談を伝えてください。”
  家綱はその良い種を受け取って、しみじみと:“禅師殿のお言葉を借りて、四季を通じて春のようでありますように。”と言うと、行李を担いできた兵士に命じて、土地を耕し、自ら種を蒔いた……隠元は合掌して、何か念じているが突然声をあげて:“阿弥陀仏、四季を通じて緑豊かでありますように!”と唱えた。

(二十六)

  宇治の山地。臨時に仕立てた作業小屋。
  隠元は寺院の設計図を広げる。標題は“京都宇治黄檗山万福寺鳥瞰図“とある。
  大眉ら弟子たちと仏像彫刻の大家范道生がその回りを囲んであれこれと熱心に検討し合っている。
  范道生は困った顔をして、“ここからさほど遠くない岡山一帯には良い石材が多いが、棟木と梁の楠木が足りない。これは、なんとしても明の南方へ調達しに行かねばなるまい。”
  大眉は名案を思いつき、手を打って叫んだ。“先日ちょうど鄭彪に遇ったのだが、近く福州号に乗り、アモイに戻り、鄭成功将軍に報告するとのこと、彼に手紙を託して助けてもらってはどうだろうか?” 范道生は外から誰か入って来るのを見て、思いがけないことに喜んで言う“噂をすれば影とはこのことだ。鄭彪大兄がいらっしゃった……”
  鄭彪は、入ってくると笑いながら“皆さんおそろいで、私が役立たずだと悪口を言っていたんじゃないでしょうね?”と言うやすぐに隠元禅師に礼を施す。
  このとき、傍で考えていた隠元は言った。“天が黄檗を助け、万福寺は必ず完成する!帰国する鄭彪に託して鄭家の協力を仰ぎ楠木を調達してこそ、万福寺建立を成功させることができる!”鄭彪は使命感に燃えて、:“そうとあっては、是非引き受けさせてください! はは”
  皆大喜びで同意し、大眉性善と木庵性瑫は隠元に帰国の許可を請い、共に大任を果たしたいと申し出、鄭彪と固く手を握り合う……。

  “福州号”の舳先に船主の何素如が意気軒昂な様子で立ち、傍らにぴったりと鄭彪、大眉、木庵が立っている。彼らは息を殺してじっと波立つ海原を見つめている。
  帆は風をいっぱいに受けて、船は飛ぶように進む。荒波を乗り越え、東海の西、大陸を目指して突き進んだ。

(二十七)

  明国江南の地は血の海に盾が浮かび、広野あまねく屍横たわる惨状だった。
  清の軍勢は長距離をまっすぐに南下し、南明朝廷は瓦解した。鄭成功は劣勢を挽回すべく奮闘したが、すでに希望は無かった。残留部隊を率いて、優れた航海術を頼みに台湾周辺の列島へと向かった……。軍師黄道周は、故郷に帰り親族を救おうと、途中鄭成功に別れを告げ、馬に鞭を当て一路黄檗山に向かった。
  昔日《喜峰口》の守護将軍だった朱虎は修行僧の姿に身をやつし、鄭成功をたずねようとしたが果たせなかった。帰り道、黄檗山のふもとを通りかかったとき、前方から馬を駆って猛進してくる男に出会い、明の軍服を着ているので、慌てて声をかけた。黄道周は手綱を引いて直ちに問うた。:“この乱世に、なぜ道をさえぎるのか?”
  朱虎はすぐさま礼をして、:“こうするよりほか仕方がなかったのです。お許しください。お訪ねします。我ら南明の将軍や兵士は今いずこに?”
  黄道周は驚くやら喜ぶやらで、問い返す。:“なぜそのようなことを?あなたはどなたですか? ”
  朱虎は慌てて手綱を引き、馬を降りて:“あなたのいでたちを見て、我ら大明の壮士とお見受けしました。謹んでご挨拶いたします!”と言いながら、拳をもう一方の手で包むようにする礼を行う。
  “あ、あなたは――”と言うや、黄道周は馬から飛び降りて問う。:“あなたも、我が明軍の兄弟では? どこからおいでになり、どこへ向かっておられますか?”
  “私には罪があります!”朱虎は懐から辺境の防衛将軍任命を示す金牌を取り出して涙をこらえきれない様子で、:“私は長城の喜峰口の守備将軍朱虎です。ここに任命の牌を持っています。しかし、関は破られてしまいました――ああ、この上もない恥辱に、この身のやり場がありません。これから南方に下り鄭成功大将軍に従い雪辱を果たそうと、そのためには死んでも惜しくありません!
  この時黄道周は既に明軍の敗色が確定していると知っていたが、この明復興の志士にかける言葉がなかった。そこで、悲痛な思いをこらえて言った。:“朱将軍、私と共に参りましょう。さあ、馬に乗ってください。明復興の首尾については、道中相談いたしましょう。”二人は、馬を駆り突き進んだ。巻き上がる土煙がたちまちその姿を覆い隠した。

(二十八)

  夕暮れ時、天を覆う土煙の中、南下する清軍は一路残虐な蹂躙を続け、路上の石をも砕き去った。砕かれた石ははじかれて流れに落ち、そのたびに花の様に水しぶきが立った。
  江南特有の湖と河の合流地帯。夕焼けに照らされてきらきらと輝く水面。かなりな速度ですすむ一艘の小船が見える。力いっぱい漕いでいるのは、海を渡って楠木の手配をしに帰ってきた鄭彪と大眉の一行だった。彼らは敵の軍を避け、ひそかに南へ向かっていた。

  黄檗山のふもと、燃えるような夕焼けが、荒れ果てた村落を赤く染めている。
  昔日の“黄邸”(黄家の屋敷)は見る影もなく、崩れた壁の脇に停めた古い馬車の停めてある傍らで、黄道周が還暦を迎えた黄幽梅を支えて馬車に乗せようとしていた。車夫や使用人もそれぞれの持ち場についた。同行する朱虎は二頭の大きな馬を牽いて傍に控えていたが、黄道周が迎えに来ると黙って一本の手綱を渡す。
  黄道周が:“戦乱の世にあって、家人を抱えこの有様、お恥ずかしい限りです!”と言うと、
  朱虎は、:“黄軍師殿、ご謙遜が過ぎます。敗戦し家を失えば、誰もが同じ境遇になります。今後の道中、お互いに腹を割って何でも
  遠慮なく言い合いましょう。馬を駆り共に行くからには、ただ前進あるのみです!“
  黄道周は一通の書簡を朱虎に渡して言う。:“この先は長いし、なにがあるか分からない。万一のときはこれをお願いしたい!ただ――”
  朱虎は書簡を受け取ると、:“軍師殿、どうか何なりとおっしゃってください!”
  黄道周は馬車を指差して、:“妹の人生は不遇で、幼い頃からの敬慕の気持ちを守り続けてきました。もし縁あって日本へ渡るようなことがあったら、これは朱将軍に託すほかありません!”と言うや、
  抱拳(胸の前で握ったこぶしをもう一方の手でかぶせる礼)の礼をし、目を伏せる。その目には涙が光っている。
  朱虎はそれを見て、どうして良いか分からず、慌てて同じ礼を返し、:“かしこまりました!”と応えた。

  あぜ道が交差するひっそりとした村落は炊事の煙も絶えて見えない。
  大軍の馬の足音が遠くからだんだん近づき、旗が風に翻る音と共に清軍が村を通り過ぎた。

  黄道周一行は三叉路に行き当たり、正に進む方向を見定め、道を選ぼうとしたとき、朱虎の馬が何か気配を察したかのように突然足を止め、前方の道を避け、その場でぐるぐる回り始めた。
  朱虎はとっさに異変を感じて言う。:“軍師殿、ご覧ください、この白馬、私と共に長年従軍しましたが、とても勘が良い馬です。前に進まないのは、きっと、何か異常があるに違いありません!”
  黄道周は何か思うところがあって、決然と言う。:“そうだとしたら! 万が一に備え、ここで分かれて別々の道を行きましょう。またきっとお目にかかれます。”そう言いながら、馬を下り、朱虎と手綱を交換して、“将軍の白馬は道を知っていますから、合流の場所へ連れて行ってくれるでしょう。ここであなたは左、私は右へ、ここでお別れです! お託ししたこと、決してお忘れなきよう!”言うが早いか、馬にまたがり、右の方向へ疾風のように走り去った。
  朱虎は交換した黒馬の手綱を牽きながら、正気を取り戻し、独り言のように:“私は左へ、海岸の方へ向かう。黄殿は右、反対方向だ。どうやって合流すると言うのだ? おお、託されたこと、機を逃してはならん!”と言うと、馬車に乗っている黄幽梅に目で声をかけ、鞭を揮って左の方向へ急ぎ向かった。

  夜の帳がゆっくりと降りて来た。黄道周がまたがる白馬は、ますます輝きを増した。それに加え目を見張るほどの駿足は人々の注目を招いた。終に、偶然行き逢った清軍に執拗に追われ、哀れ偉大な軍師は追っ手を引き離すために潔く犠牲になった。多勢に無勢の戦いで、壮絶な殉死を遂げたのだ。

  黄檗山の山中、林に身を潜め、黄道周の殉死を目撃した鄭彪一行は、悲憤にさいなまれつつも、急いで軍師の遺骸を納棺した。日に夜をついで河の岸辺へと向かい、小船をいかだに乗り換え、楠木調達の使命を果たすため雲南の密林へと向かった。

  台湾海峡の波はすさまじい勢いだ。大陸側の海辺の道を頭を低くして黄道周の黒馬の手綱を牽いて歩く朱虎。その後ろには黄幽梅を乗せた馬車が続く。
  朱虎は顔いっぱいに困惑の表情を浮かべていたが、突然手綱を捨て、大またで砂浜に踏み出した。水平線に点々と浮かぶ帆船を遥かに望み、耐え切れず両膝を地に着けて跪き、両腕を高く挙げて、天を仰ぎ地に頭を打ち付けんがばかりの大声で叫んだ。:“天よ! 私は朱家の末裔として、辺境の関を奪われたことには責任があります。
  ですが、私が鄭成功将軍に従おうとしても道が開けないのはなぜですか?“海の波は音を立てて朱虎の膝まで押し寄せ、共に泣いているかのようだ。
  海辺の道の馬車の傍に黄幽梅が立っている。朱虎が跪いて天に訴える姿を見、悲痛な叫び声を聞いて涙を流している。
  黄幽梅の後ろに“福州号”の船主何素如が現れ、その後ろに大眉らが現れる。そしてその後ろの遥か遠くに、帆をいっぱいに張った帆柱が見える。
  かつて黄家の屋敷で出会った者たち。今、歳月の流れによる変化を免れない。目にはそれに伴う悲しみに涙を湛えている。お互い黙って集まり、黙って砂浜の朱虎を抱き起こし、一同は福州号に向かって歩き出す。

(二十九)

  京都“万福寺”の建設現場。
  土台が固まり、構造も合理的に設計された。
  槌の音が響き、石工たちが忙しく働く。范道生はすでに形ができた大小の石仏の間を丁寧に点検して回っている。
  隠元禅師は数名の弟子たちを後ろに従えて、指先で数珠をよりながら、経文を念じ、すでに完成した一体の大きな如来像に心をこめて金箔を施している……。

  そこへ手に棍棒を持った鬼のような無頼僧の一群が山を登って襲って来た。その中の首領らしき僧侶が、隠元の目の前に迫り来て激しい口調で罵った。:“お前たちは、善悪をわきまえず、先に仏像を造り、後で寺を建てるという、仏の忌み嫌う過ちを犯すとは何事だ!”
  隠元は相手のすさまじい剣幕を見て、その程度を見極めるため先ずは丁寧な言葉でやんわりと答えた。:“お互い同じ仏に仕えるもの同士、私とて本末転倒は願いません。ただ、棟木や梁の楠木の木材が着くのを待つ間、準備をしているのです。本日皆様の良きお言葉を頂き感謝します。これからはご意向に背かぬように順序正しく進めたいと存じます……”その一方で、傍にいた弟子の独立に素早く目配せした。独立は怪しい気配を見て取ると、お茶を取りに行くと口実を設け、その場を離れた。
  無頼僧の首領は手を振って左右の者に声を掛け、怒鳴った。:“つべこべ言うな!萬福宝寺を建てる力も無いくせに、とっとと山を下りて失せろ!”言いながら、手を伸ばして隠元を指差した。隠元は両目を大きく見開いてその伸ばされた黒い手を見ると、指が欠けている。はっとあの海賊のことを思い出す。
  無頼僧たちも口々にはやしたて、棍棒を振り回し、隠元たちに襲い掛かった。 あわよくば山から追い出し、山を横取りせんとばかりに。
  隠元はそんな暴威には少しもひるまず、喝を入れた。:“待たれよ! 萬福宝寺とおっしゃるからには神聖な御仏の像を己を捨てて守るが道理。それをおろそかにするとは、まさか天罰を恐れないのではないだろうな?”
  無頼僧の指の欠けた首領は凶暴さをあらわにして言った。“仏像など皆まやかしだ、何が天罰だ? 者ども、支那の坊主を追い出せ!やっちまえ!”
  ここは柔を以って剛に対処するしかないと見た隠元は、素早く一歩踏み出してすぐ近くに迫った輩を気を発して跳ね返した。弟子たちは師匠のその態度を合図とみなし、皆その業を発揮し、声を出し、八卦の陣を構えて、仏像を囲んで守った……。
  無頼僧たちは目がくらんでなす術を失った。指の欠けた首領はまた大声で叫ぶ。:“支那の坊主など恐れるに足りない。ものども、やっつければ褒美をやるぞ!……”。正に無頼僧たちが棍棒を振り上げ、隠元に打ちかかって行こうというとき、禅師はどっしりと構えて微動だにせず、突然体の内側から気を発すると、打ちかかってきた棍棒が禅師の体に触れてすべて折れてしまった。
  隠元禅師は両袖を振るって弟子たちに仏像を取り囲み、合掌して金剛大経をそろって唱えるよう指示した。経を唱える声は雷のように力強く、光の輪が回りに立ち上がり、着実に無頼僧たちの勢いを削いで行った……。
  無頼僧たちが再度攻撃を仕掛けようとしたちょうどそのとき、独立性易が馬を駆って先導して、幕府の侍たちが馬を急がせ駆けつけた。将軍の側近宮本が先頭を切って鋭い刀を振り上げて、無頼僧に向かって申し渡す。:“皆の者下がれ! 徳川将軍の賓客高僧に狼藉を働くとは不届きな、天皇もお許しにならないぞ!”無頼僧たちは不満そうに暴れるのをやめ、ばらばらと退却した。
  宮本は突然、そこにあの日、将軍家綱を心から笑わせた地元の僧侶がいるのを発見し、刀で指して、:“その方……どうしてまたその方が? 控えおれ!”
  その地元の僧侶は、恐れて宮本の前に跪き:“ 将軍様! お許しを!”
  宮本は厳しい声で、:“許せだと? おとなしく白状しろ。どうしていつもその方がいるのだ? 何ゆえ将軍が笑ったのだ?”
  地元の僧侶はふざけた口調で:“明の皇帝がやられたのがいけないんです。そして明の坊主が逃げて、清の皇帝が怒って、追っ手をよこしたものだから――”
  宮本は意味が分からず、いらいらして、:“くどくど言うな、その方と何の関係があるのだ?”
  地元の僧侶は調子に乗って立ち上がると、宮本の前に一歩進み出て、声を落としこびへつらって、“将軍様、お許しくださいよ。
  本当のことを申し上げますから。この世の僧侶は皆家族。西だろうが東だろうが、助け合わなければ!”
  宮本は同意しない。:“ああ? 某の考えでは、この世の僧侶は皆家族ではないが、武力で争うのは道理にもとる。 嘆かわしいことだ! 皆とっととうせろ!”
  無頼僧たちはほっとし、あたふたと逃げて行く。
  隠元が進み出、宮本は馬を下り互いに礼をして、思わず長いため息を漏らす。

  ため息の声が、重い建材を運ぶ掛け声に変わる。
  雲南から運ばれてきた楠木の束がひとつまたひとつと、僧侶と信徒の協力と、下に敷かれた丸木のころのおかげで徐々に山道の坂を上って行く。
  材木を運ぶ掛け声が、空に響き渡る。楠木の棟木や梁は三脚の支えで吊り上げられ、一本また一本と青空に向かって立てられた。
  隠元禅師と范道生、そして大眉らの弟子たちは一枚また一枚と寺院建造の設計図を広げ、建設地に現れた寺院の形に照らしては会心の笑みをほころばせた。

(三十)

  隠元の笑顔は子供のように天真爛漫で、青空と白雲に向かい、翼でも生えたように、飛んで行き高いところから尊い山の緑林の中にひとつまたひとつと黄色く輝く萬福寺が映し出されるのを見ている……突然、“阿昞(アビン)兄さん――!”という切羽詰った、また聞きなれた声が隠元を幻想の中から呼び戻した。
  山の坂道の黒い石の上で横になって休んでいた隠元が目を開けると、そこには見慣れた顔があった。若いころに別れ、思いがけなく再会した幼なじみの阿梅、ああ! それは本当に黄幽梅だった!
  隠元は驚いて、飛び起きて問う。“どうしてここに……?”
  黄幽梅はとめどなくなみだを流し、声にならない声で“兄が……兄が明のために……義を全うして亡くなったのです!”
  傍らに立っている鄭彪と何素如が急いで隠元に礼をし“忠義の一門黄家はただ幽梅を一人残すのみです。
  隠元は動揺しながらも、悲痛な思いを抑え、おもわず天を仰いで呻くように声を上げる。“衆生の苦難、御仏は全てご存知だ。我が黄檗を興してこそ天に報いることができる。ああ、善き哉! 
  阿梅、悲しまないでください!“
  黄幽梅は繰り返し頷き、涙を拭い、進み出て傍らの朱虎を指し隠元に紹介して“このお方は朱虎将軍です。兄と艱難を共にし、最期まで一緒でした!”
  隠元と朱虎は互いに礼を交わし、隠元は感激して、“朱将軍に感謝いたします。生死の交わりは実に尊いものです!”朱虎は袖から一通の手紙を取り出し、隠元に渡して言う。“これは軍師殿が別れのときに託された物です。”
  隠元が受け取って封を切って見るが、ひとつの文字も見えない。が、にわかに感嘆して、: “あ、文字の無い白紙の手紙? おお!是が極まれば否、無の中に有がある。陰陽はめぐり永遠に続く。黄色道周よ、君は天下の奇才だ。その奇才が私に絶唱をくださった!”そう言うと文字の無い手紙を胸元にしまい込んだ……。

  寺の建設地から程近い太和山、鮮やかな緑に包まれている。草木が青々と茂ったその上に広がる青空と白雲は、高く清らかに果てしなく蒼穹へと連なる。
  太和山のふもとの静かな場所に松や柏に囲まれた優雅な“白雲庵”がある。黄幽梅はこの時既に尼僧の装束に身を包み、仏前に座して、木魚を叩き、目を閉じて念仏を唱えている。
  隠元禅師は黄道周の書簡を手に、うつむいて小走りに庵の前にやって来たが、しばらく躊躇して、身を翻し引き返した。何歩も行かないところで、庵から木魚の音が聞こえてきた。それはまるであの時黄家の大きな桑の木の下で黄幽梅が笑った声のようだ。隠元は目を見開いて周りを探す――
  いくつかの画面が二重写しになる。
  笑いながら桑の葉を採りに走った道;
  亀の傍らで陰陽を語った情景;
  黄家の屋敷で男女の別を問いかけた情景;
  寺院建設の地で再会したときの涙……
  隠元が長い間行ったり来たりするうち、手にした書簡はどんどん重くなっていく。天を仰ぎ、深呼吸をすると終にまた“白雲庵”に足を向ける。しかもそれは着実な足取りである。
  黄幽梅は木魚を叩きながら、外から聞こえる足音に気付く。耳を傾けてしばらく聞いているうち、頬が紅潮する。そして“ふふっ”とうっとりするような笑い声をもらした。

(三十一)

  京都宇治の萬福寺建設現場。明るい陽の光に輝いている。
  やっと全体の形が出来上がった寺院の建物は、朝焼けの中、交錯して建ち、輝くさまは、まるで蜃気楼のように神秘的で、見るものを引き付ける。
  トントンという鎚の音、よいしょ よいしょ という掛け声が、労働の朗らかなリズムに乗って谷間にこだます。主題歌“山の外に青山あり”が聞こえてくる。
  天の外に青山あり
  白雲の上に青空が果てしなく広がる
  山の外に青山あり
  緑陰の小道は延々と連なる
  曲がりくねった小道が大路へと通じる
  黙々とたどった道がしっかりと寄り添っていた
  善行の道は尽きることなし
  涅槃心経は念じ終わることなし
  天下の僧侶は 皆家族
  東西行き交い 苦難に遭えば 互いに助け合う
  遠くへ行くより、高みに登って呼びかけよう
  大いなる愛永遠なれと 大いなる愛永遠なれと!
  見渡せば 青い峰のどこが最も美しい
  野の花の鮮やかな色 野の花の鮮やかな色!
(主題歌が遠ざかるにつれて、無事竣工した京都万福寺の姿がくっきりと表れる。)

  日本京都の黄檗宗万福寺の開眼の式典。
  黒山の人だかり、貴賓が集まり、寺院は大いに賑わっている。
  豪華な籠が八人の担ぎ手に担がれて石段を上がってくる。籠の簾めくられ、後水尾法皇がゆっくりと歩み貴賓の高い席に登る。
  隠元禅師と徳川家綱将軍は二手に分かれてお供を従えて並び、法皇が席に着くのを迎える。その時会場全体に“法皇よ永遠なれ、陛下万歳!”という歓声が沸き起こる。
  法皇は満面に笑みをたたえ、親しげに隠元と家綱にも左右に掛けるよう促した。そして会衆に向かい大きな声で述べた。“本日盛典を催し、御仏を仰ぎます。御仏が開眼し世に永遠の光を伝えます。私は法皇として華夏(中国)の高僧に感謝します。私の願いは隠元様に御仏のありがたい御言葉を授けていただき、万民に永遠の幸福がもたらされることです。”
  貴賓席の前方には、大きな机が設置され、墨と硯、筆が揃えられている。隠元はゆっくりと立ち上がり、机に歩み寄ると、恭しく法皇に礼をし、真剣な面持ちで“法皇様の聖旨は万民に大いなる愛が注がれること!拙僧ここにお祝いの気持ちをこめて……”と言って、目を凝らすと、筆を執り、沈思する。
  机の両側には、それぞれ8台の古琴が置いてある。家綱将軍が手を打って合図すると、琴の奏者たちはいっせいに演奏を始め、優雅な琴の音が、まるで青々とした山をめぐる清らかな水の流れのように響き、音楽と書の韻律が、晴れ渡った空で溶け合った。
  隠元が筆を置くと、机の上には墨の色も鮮やかに、龍が翔け、鳳が舞うような筆跡で仏法の言葉が示された。

  法鏡交光 六根成慧日 
(真実を映す鏡が光を交え、六根は煩悩を清められる)
  牟尼真浄 十地起祥雲
(釈迦牟尼の真実の清めで 修行の道程に悟りの心起こる)
  両側の僧侶は前に進み出てその書を掲げ、恭しく法皇に見せる。法皇は目を輝かせて大いに喜び、思い余って朗々と読み上げた。
  僧侶たちは法皇の指示でその書を会衆全員に向けて一巡りさせる。“万歳! 万歳!”の声が周囲の山々に響き渡る。
  満天の雲は鮮やかに輝き、その雲を貫いて白い光が射し込んで来て、寺院の仏像に金色に輝く羽衣を着せ掛けた。目にありがたい吉祥の光が満ち溢れる……。

エピローグ

  一六七三年四月三日の夕方。京都萬福寺“松隠堂”
  静かな黄昏の中、髭も眉もすっかり白くなった隠元は病床にあった。弟子木庵がそっと音を立てないように禅師の傍に来て、にっこり笑って一本の掛け軸を渡した。隠元がそれを開くよう命じる。
  掛け軸がゆっくり広げられる。上のほうに書かれているのは禅師が当時“仙巌”で鄭成功に贈った“禅”の文字である。最後の一筆が
  長く伸ばされたのでよく覚えている。しかし、掛け軸を下のほうへ続けて開いていくと、その長い筆跡がもう一つの文字に覆われているではないか。それは“神”の一文字だ。禅の字の縦の一筆と下のほうに書かれた神の字の縦の一筆がちょうど一本につながっている。真に絶妙なつながりですっかり一体となっている。“禅神”の二文字を見て、隠元は目を輝かせ、手を震わせた。そして低い声で“こ……これはどこから来たものか?”と尋ねた。
  木庵が答える。:“鄭大将軍が人を遣わし台湾から届けられました。
  天下の偉大な禅は神と共にあるとおっしゃって。”
  “天下の偉大な禅は神と共にある”隠元はゆっくりと繰り返し、木庵を見上げて、“さすがは鄭成功殿、この一筆をつなげたのは素晴らしい! 早く行って台湾の使者に禅と神が共にあるという鄭将軍の美しいお考えに感謝していると伝えておくれ!”
  “鄭将軍が亡くなられたのは10年前、この掛け軸が巡り巡ってここへ届くとは真に稀有なことでございます。”木庵は静かに言った。
  “おお⁉ それは、またあの世でゆっくり語り合えるということかな……”隠元はぶつぶつ独り言を言っているうち、突然何かを思い出して、手を伸ばし枕辺からあの文字のない手紙を取り出し、蝋燭にかざして左右を見比べたり、あちこち触っているうちに、封筒から干からびた蚕の繭が落ちると、楽しそうに微笑んで言う。“黄道周よ、あなたも鄭将軍と同じで、隠すのが上手ですな。鄭将軍は字を隠していたが、あなたのこの字のない手紙には、童心を隠していたんですね! は、は、なるほど……蚕は死ぬまで糸を吐き続けるのだ!”
  弟子の大眉と独立が盆を捧げ持ち壷を下げて部屋に入り師匠に仕える。隠元はよろよろと枕元の亀を入れた竹かごを取り、独立に渡して、小声でつぶやくように言った。“普陀山で拾って以来、今日まで数十年も一緒だったが、何とか山に帰してやっておくれ。”独立は涙を浮かべて頷き、竹かごを提げて出て行った。隠元は体を斜めにして弟子の行く先を見ている。隠元の視線の先には、門の外のすぐ近くにある“放生池”がある。亀が竹かごから這い出ると、首をひねって蝋燭の明かりを探している。蝋燭の炎が楽しげに揺らめき、隠元が微笑んで大儀そうに亀に向かって手を振った。亀はまるでその意を悟ったように、ドボンと水の中へ去って行った。池の水は大きく揺れて、その瞬間大海原へと変った……

  海の波が幻を消し、隠元は手で木庵を招き寄せ、木庵に寄りかかって足を動かし、よろめきながら文机のほうに行き何かをしきりに探す。木庵が目を凝らしてすぐさまあの未完成の書を見つけ出し、師匠の前に広げた。この時独立も“放生池”から隠元の傍に戻っていた。
  隠元は頷くと、突然咳き込んでから、ゆっくりと低い声で、“そなたたちがずっと待っていた時が、今宵いよいよ訪れたようだ……”
  木庵、大眉、独立は師匠が臨終の言葉の言外の意を感じ取り、感極まって嗚咽し、声を出して泣き出す。
  隠元はそれでも微笑んで、“大の大人がいい年をして、泣くのか?
  そなたたちに聞くが万福寺はここ日本にいくつ建てられたか?”
  大眉が即座に答える。“一千百です。その香たるやまこと盛んでございます!”
  隠元が再び問う。“僧侶と信徒は何人か?”
  大眉が再び答える。“二千五百万にも及びます!”
  隠元は両の目をきらりと輝かせて、“素晴らしい! 黄檗よ、萬福よ、拙僧は老いぼれたが、山は老いることがない!”突然、夜空から釈迦牟尼の声が聞こえてくる。“青山は老いず人も負いに非ず、世に残されたる大いなる愛は永遠に輝く” 仏の声は雷のように耳を貫く。 隠元は弟子たちを寄せ付けず、自ら墨を刷り、筆を振るってあの未完成の大きな画仙紙に一気に力強く“……千山静”の三文字を書き加えた。
  筆が地に落ちて墨がてんてんと飛び散る……
  蝋燭が燃え尽きて風が吹く……
  風が轟々と吹き、森がざわざわと鳴る
  山々の起伏が壮観を呈する
  一幅の“孤旌独輝千山静”の書が急に現れて、徐々にズームアップしどんどん大きくなり、迫って来て、最後に“静”の一文字だけが残る。

  隠元の声:静かだ、実に静かだ! 拙僧の物語はこれでおしまい。雲が流れてきた。私はまた漂って行く。どこへ行くかって?高く遥かな彼岸ですよ! おお、そうだ、歴史学者が後になって私隠元を評して“晩年を日本で過ごし日本で没したが、心はいつも祖国にあった。高々と仏の灯火を掲げた、その大いなる愛はどこからも永遠である。”と言ったそうだが、そうですか? その判断は皆さんにお任せしましょう。
(終わり)

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