九州生気恃風雷
(中国が活気を取り戻すには雷や嵐のように激しい勢いに頼らなければならない)
清の龔自珍の詩「祭神詩」より———
「九州生気恃風雷,万馬斉暗究可哀。我勧天公重抖擞,不拘一格降人才」
「中国全土の活気というものは、風雷のような勢いのさかんなもの(=大変革/革命運動/政治運動)に頼っている。
万馬が斉(ひと)しく皆(みな)声(こえ)をあげること無く、(そのことは)哀れをきわめている。
私は天帝にもう一度奮い立って、(ひとつのわくにこだわることなく、人材を登用すること)をお勧めしたい。
ひとつのわくにこだわることなく、人材を生まれ出(い)でさせて、登用(していただきたい)と」
龔自珍は清廉な役人で、直言してはばからなかったので、権力者とぶつかり、何度も排斥された。一八三九年、官を辞して北京を離れ、故郷の杭州へ帰る道で、鎮江を通った時、この詩「祭神詩」を詠んだ。中国が活気を取り戻すには雷や嵐のように激しい勢いに頼らなければならない(恃は依頼の意味)。ところが、目の前には死んだような雰囲気が蔓延し、数万の馬も一斉に声をあげることがない。これは悲しむべきことではないか? どうか天子様におかれましては私の助言を聞き入れて奮い立ち、一つの枠にこだわることなく、国を治め、民を幸せにできるいろいろな分野から人材を集めて任用し、再び軍用を整えて、国家の復興を成し遂げてください。
これは偶然と言うべきか運命と言うべきか、古代中国は九州と呼ばれていたが、日本にも九州という地方がある。あなたの中に私があり、私の中にあなたがいる、一筋の海を隔てただけの隣国同士、その心のつながりは断たれることがない。昨年、日本の九州地方熊本県が地震災害に見舞われたが、各地からの無私無償の援助が届けられ、感動的だった。中国の汶川大地震の折も、国際的な救援活動は人の心を動かし、今も美談として語られる。ここでは、両国人民の友好往来の感動的で忘れ難い情景が描き出されるだけではなく、更に尊いのは「天子」の叡智と「人材」の輩出だ。
(編集者:秦川)