北宋王朝の王安石の詩「登飛海峰」より———
「飛来峰の上の千尋もある高い塔からは、鶏の鳴く夜明けには日が昇ってくるのが見えるそうだ。浮いて漂ってくる雲が視界を遮るのを畏れないのは、 我が身を最上階に置いているからだ。
飛来山というのは飛来峰のことで、浙江省杭州の西湖の北西にある霊隠寺の前にある。山の上に建てた塔が、千尋だという。一尋は八尺(約2メートル65センチ)。千尋の高さ、登る勇気があればの話だが、早朝鶏が鳴く頃、塔からは真っ赤な太陽が昇る壮大な光景が見えると言われている。塔の頂上に登りさえすれば、浮いてきた雲が視界を遮らないかと心配する必要はない。
詩全体は、作者の先見の明を以て大局を見極める哲学的境地を示しており、困難や危険を恐れずに大胆に高みに登るという豪放な心意気をも表している。
このことから思い起こすのは、江戸時代の日本の「水戸藩主」である徳川光圀将軍が、鶴の一声で、多くの異論を退け、
明後期から清代初期に亡命した偉大な学者朱舜水を真摯に迎え入れもてなし、中国儒教の講座を設立したことだ。
光圀はさらに、それを広め、江戸(現在の東京)に移転し、以来、今日の繁栄する東洋学問の確固たる基盤を築いた。これはなんと高尚な行為であろうか。
(編集者:秦川)