辞書で「夢」を調べると、たとえば『岩波国語辞典第5版』によれば、最初に「眠っている間に、種種の物事を見聞きすると感ずる現象」とあり、そのあとに「希望・理想」が載っている。辞書によって掲載の順は異なるが『広辞苑』(岩波書店)は「古い用例を先に記載し、新しい用例をあとに登場させる」のが編集方針と聞いたことがある。岩波国語辞典第5版』も同様の編集方針なのだろう。
つまり「夢」という言葉を歴史的にみると、眠っているあいだにみる夢が先で、希望や理想はそのあと…ということになるが、春・3月のこの時期、人々の会話に「夢」が登場するときは、やはり「希望や理想」の意味で使われることが多いと思う。新年の書初めで好まれる「夢」も同様だ。
その「夢」という漢字は、意味をあらわす部分と音をあらわす部分とが組み合わされてできる「形声文字」のひとつで、上の部分が「ぼう」という音を、下の「夕」が「夜」の意味をあらわしている。日本で「夢」は、音読みが「む」、訓読みが「ゆめ」だが、漢音では「ボウ」と発音するそうだ。
さて、うろ覚えであることを、まず、お許し願いたい。たしか『豹/ジャガー』という、いわゆるマカロニウェスタンの映画だったと思う。そのなかで、ある男が「俺には夢がある」と言い、それを聞いたもう一人の男が「夢を見るのはけっこうだ。だが、しっかりと目を開けてみろ」という台詞があったような気がする。なぜか、そのやりとりだけが心に残っている。あるいは夢でもみていたのだろうか。
ふと思い出したのが、キング牧師の「I have a dream」から始まる、人間の平等を訴えたスピーチ。一般的には「私には夢がある」と和訳されている。そして、人が眠っているあいだにみる夢も「dream 」だ。どうやら、眠っていても、起きていても「夢=dream 」と表現するのは洋の東西を問わないということになるのかもしれない。
ところで、夢は若者や幼い子どもたちだけのものではない。いくつになっても、夢はもてる。春は別れの季節といわれるが、同時に出会いの季節でもある。誰にも出会わなかった、新しい出合いは何もなかった…というのであれば、新しい夢を描いてみてはどうだろうか。