以人為鏡,可以知得失
(人を鏡とすれば、その人を手本として善悪当否を知ることができる)
『資治通鑑』卷196・唐紀12より———
「人以銅為鏡、可以正衣冠;以古為鏡、可以見興替;以人為鏡、可以知得失。魏徴殁,朕亡一鏡矣!」
「人は銅を鏡とすれば(姿を映して)衣冠を正すことができる。昔を鏡とすれば(歴史によって)世の興亡盛衰を
知ることができる。人を鏡をすれば(その人を手本として)善悪当否を知ることができる。今、魏徴が死んで、朕は
一つの鏡をなくしてしまった』
唐太宗李世民は丞相魏徴が病気で亡くなったとき、その死を惜しみ、大変悲しみ嘆き、左右の大臣たちにこう言った。「人は銅の鏡を使って服や帽子をきちんと直すことができる。古代の出来事を振り返って鏡とすれば、社会の栄枯盛衰を見ることができる。賢人を鏡とすれば、自分の業績や過失を認識することができる。今や、魏徴がこの世を去ってしまい、私は良い鏡を一つ失ったようだ!」
「以人為鏡,可以知得失」という古典の言葉が持つイメージは意味深く、人の心に刻まれて忘れ難く、いつまでも余韻が続く。今日、世界各国の貨幣には多く、偉人や著名人の肖像が印刷されている。これらは時に、私たちに時代の本質を反映する鏡のような輝きを無意識のうちに感じさせる……東京の銀座名店街で買い物をする外国人旅行客は、一万円札の福沢諭吉という思想家の経歴を知っているかもしれない。北京の長安街を観光する外国の友人たちも、ガイドに説明されるまでもなく、ほとんどの方があの百元紙幣がどのようにして奇跡のような繁栄を積み上げたかを知っている。
(編集者:秦川)